川崎沖縄県人会発足100年間近 川崎に沖縄県民が集まった理由

 

 「かつては沖縄の人が一丸となって集まって頑張らなくてはいけなかった時代がありました。当時は標準語が苦手な人も多くて、昔の人は沖縄の仲間同士で集まる人が大半でした。そうやって集まるとどうしてもお酒を飲んで騒いでしまったりで、(周囲から)敬遠されることも時にはあったと思います」と、言葉の面での苦労や、寂しさを埋めたいが故の失敗もあったという。「今みたいに全国的に沖縄のことが知られている時代ではありませんでしたからね」

 時代は移り変わり、県人会が就職あっせんをするということもなくなった。会員世帯数はピーク時の200世帯以上に比べて微減しているものの「そういう意味では、県人会の助けが要らないぐらい、生活が良くなったということとは言えます」とあくまでプラスに捉える。

イベントや教室で沖縄と川崎の交流懸け橋に

 県人会館内に事務局がある「川崎沖縄芸能研究会」は、神奈川県や東京都を中心に琉球舞踊や三線、箏曲など28の研究所や保存会が名を連ねている。

 県人会では現在、一般向けに舞踊や三線などの教室も行っており「沖縄が好きな人なら誰でも会員に」と間口を広げる。沖縄県出身者が心を寄せ合う場から、沖縄と関東の懸け橋へと、その役目も少しだけ性格を変えた。「会員旅行など、さまざまな形で会員のみなさんに還元していけたら」と金城会長は3年後に控えた発足100年を見据えている。

 若い会員が中心となって、毎月県人会ホールで音楽ライブや伝統芸能などが楽しめるイベント「綾心~あやぐくる~」の主催も行う。昨今は新型コロナウイルスの影響もあり、新しく機材をそろえてライブ配信での開催を続けている。

 これらのイベント収益や、1家庭あたり年間2000円の会費の他、2016年に完成した県人会運営の3階建て「オリオンスターマンション」などの収益などで活動費を補っている。

新鮮さと懐かしさを分かち合って

 浦添市出身で川崎市に住む島袋慶さん(31)も県人会員だ。「2世3世の方が、より沖縄を求めていると思います」。1世はもう、川崎で生きていくと決めた世代で、沖縄への未練を断ち切る努力をしてきた人も少なくない。その子や孫の世代こそが、より強く沖縄を知りたいと願う傾向にあるという。

「だから、僕が沖縄から来ていて、一緒に話をしているだけで、うれしそうな表情をしてくれるんですよ」

 もともと川崎に住む沖縄県人には新鮮さを、沖縄から引っ越してきた人には懐かしさをそれぞれ与え合って、川崎の温かな雰囲気を育んでいる。

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長濱 良起

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フリーランス記者。
元琉球新報記者。教育行政、市町村行政、基地問題の現場などを取材する。
琉球大学マスコミ学コース卒業後、県内各企業のスポンサードで世界30カ国を約2年かけて巡る。
2018年、北京・中央民族大学に語学留学。
1986年、沖縄県浦添市出身。著書に「沖縄人世界一周!絆をつなぐ旅!」(編集工房東洋企画)

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