那覇市100歳の“誕生日” 100年で面積10倍 改めて振り返る歴史

 

 県都・那覇市が5月20日で市制100年を迎えた。同日、那覇市役所1階ロビーでは「那覇市100歳誕生日セレモニー」が開催され、市民や市職員が見守る中、“100歳”を祝って色とりどりの風船でバルーンリリースが行われたほか、那覇市出身や市にゆかりのある有名人からのビデオメッセージも寄せられた。

城間市長「誰もが心豊かに暮らせるよう全力で」

 城間幹子市長はセレモニーで「この100年の間に先の大戦による喪失からの再生、復興と、幾多の困難を乗り越えた激動の時代があって今日に至る。子どもたちの笑顔がいつまでも輝き、誰もが心豊かに暮らせる那覇市であるように、これからも全力で取り組んで参ります」とあいさつした。

那覇市の市制100年を祝いあいさつする城間幹子市長

 ビデオメッセージでは那覇市出身のガレッジセールやスリムクラブ、ゴルフの上原彩子プロ、埼玉西武ライオンズの山川穂高選手が那覇市での思い出を語るなど、祝福メッセージを寄せた。那覇市の沖縄セルラースタジアム那覇で春季キャンプを行う読売ジャイアンツの原辰徳監督は、城間市長をはじめ市民にお礼を述べ「老後は那覇市に住みたいと妻と話している」とも明かした。

多くの市民や職員が参加したセレモニー=20日、那覇市役所1階ロビー

「那覇」はいつから地名に?

 那覇市のホームページによると、那覇(なは)は「ナーファ」「ナファ」が訛ってできたものだとされており、民俗学者・言語学者で、沖縄学の父と呼ばれる伊波普猷(那覇市出身)は、漁場を意味する「ナバ」から発生したと説いている。

 「ナハ」「ナファ」「ナワ」「ナバ」などと一般的な呼称が複数あったが、1934年に日本放送語審査委員会で「ナハ」と定められた。ラジオ放送でどう読むのか、という問題から、正式な市名が統一されることとなった格好だ。

100年間で面積を増やし続けた那覇市

那覇市HPより

 那覇市の面積は現在、約40k㎡だが、市制開始時の100年前、大正10年には約5k㎡弱しかなく、現在本島内で一番面積の小さい与那原町よりも狭かった。

 最初に面積が増えたのは、首里市と小禄村を編入した1954年だった。編入合併前の旧那覇市は、このような狭小な市域に6万人以上が住む過密都市だったが、首里市と小禄村の編入により約23k㎡と4倍以上に。さらに1957年に真和志市が編入してからは約35k㎡と、おおかた現在の那覇市の市域に合致、人口は約19万人になった。

 あまり知られていないのが、旧那覇市と合併していたのは首里市、小禄村、真和志市だけではなかったということだ。1975年には首里地区と隣接する西原村(当時)字幸地の一部を編入した。0.01k㎡(=1ha)と、サッカーコート約1.4面分が那覇市域に加わった。

 その後も海岸線や漫湖沿岸などを埋め立てて面積を増やし続け、市制開始時の旧那覇市とほぼ同じ面積を追加、現在の約40k㎡となった。中でも一度で最大に市域面積を増やしたのが、2019年12月に工事を終えた那覇空港の第二滑走路で、約1.5k㎡が追加された。

県都として沖縄をリード

那覇市役所

 離島県である沖縄は、県外からの陸路交通・輸送ができず、ヒトやモノの玄関口は港湾施設に限られる。那覇市にはその中心となる那覇空港や那覇港が位置しており、特に2013年にピーチアビエーションが初めて那覇空港発着のLCC国際線となる台北路線を就航してからというもの、アジア各都市とも安価で気軽に行き来ができるようになった。

 近年では2013年に中核市に移行し、2015年に県内自治体では初めて「性の多様性を尊重する都市・なは」宣言(通称:レインボーなは宣言)を行うなど、ハードとソフトの両面で沖縄県をリードする存在であり続けている。

那覇市役所庁舎内
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長濱 良起

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フリーランス記者。
元琉球新報記者。教育行政、市町村行政、基地問題の現場などを取材する。
琉球大学マスコミ学コース卒業後、県内各企業のスポンサードで世界30カ国を約2年かけて巡る。
2018年、北京・中央民族大学に語学留学。
1986年、沖縄県浦添市出身。著書に「沖縄人世界一周!絆をつなぐ旅!」(編集工房東洋企画)

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