沖縄の在来馬が減った理由の一つ「サトウキビが太くなったから」

 

 琉球競馬が側対歩なのには理由がある。中国からの冊封使が来た時に、彼ら国賓を馬に乗せて移動させる際に揺れが少ない歩き方であったのがその一つだ。側対歩が競技化、娯楽化して発展していった琉球競馬を、梅崎氏は「世界に類がない」と評する。

在来馬が減った=首里の道が変わった

 しかし、琉球在来馬も時代の変化と共に減少することとなる。その理由の一つが道路の開通だ。「国頭街道」が開通し、沖縄本島北部のやんばる地域から南部の那覇・首里まで、馬車を使って陸路で直接材木を運べるようになった。そのため、比較的小型の在来馬よりも、日本本土の馬と交配した大型の雑種が産業面で求められるようになった。

 それ以外にも要因はあった。サトウキビが太くなり、小型の馬では圧搾機を引けなくなったことや、日本陸軍がたくさんの軍馬を求めたことも、在来馬の減少につながった。梅崎氏は「1920年には沖縄に1224頭いた在来馬が1935年には78頭と激減してしまいました」と、わずか15年間での変化を説明した。

 道路など人間生活の変化が馬の品種に変化をもたらした一方で、馬の変化そのものが街並みに影響を与えたこともある。当時首里に多くあった石畳の道は、大型馬の蹄が弱く登れないという支障が出たことから、どんどんとはがされた経緯もあるという。

琉球競馬の名馬に多かった名前「ヒコーキ」

 第二部のパネルディスカッションでは、梅崎氏に加えて、元騎手の岡部幸雄氏、沖縄こどもの国の比嘉源和氏、ヨナグニウマ保護活用協会の中川美和子氏、宮古島市史編さん委員の長浜幸男氏、競走馬理化学研究所の戸崎晃明氏の6人が登壇した。コーディネーターはラジオパーソナリティーのナガハマヒロキ氏が務めた。2013年には沖縄こどもの国で70年ぶりに琉球競馬「ンマハラシー」が復活したことなどが紹介された。

 日本在来馬のルーツについて、遺伝子研究を行う戸崎氏は「遺伝情報的には古墳時代にモンゴルから朝鮮半島を経由して入ってきたことが分かってきました。(南西諸島の)宮古馬、与那国馬、トカラ馬の遺伝情報も日本本土のものと近いです。日本本土から沖縄にも広がってきたものとみられます」と説明した。

 琉球競馬の馬の名前に「ヒコーキ」や「ジドウシャ」という名前が目立っていたという。梅崎氏は「人々が新しくて速いものに憧れたことから、そのような名前がよく付けられていました」と当時の流行り事情を語った。

在来馬の頭数回復を目指して

人々と触れ合う与那国馬=那覇市の琉球新報社敷地内

 長浜氏は、昭和50年に宮古馬が20頭以下に落ち込んだことを機に、宮古馬保存会を立ち上げた。今では51頭まで増やしたという。少ない頭数からより最適な繁殖を目指す狙いから「近親交配を避けるために馬の遺伝子を調べ上げて家系図のようなものを作った」と、繁殖の前段階での努力を振り返る。

 今後は「なんとしても100頭まで回復したい」と目標を掲げる。宮古島市に県立公園を作る準備が進んでいることと絡めて「宮古馬と触れ合える場所を作って、子どもたちの情操教育やホースセラピーなどにも活かしたい」と話す。

 同じく与那国馬について中川氏は「観光や教育の他にも、ウェルネスツーリズムで活用していきたいです」と述べた。当日は会場外の琉球新報社敷地内で、与那国馬と触れ合えるブースも設置され、家族連れなどでにぎわっていた。 

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長濱 良起

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フリーランス記者。
元琉球新報記者。教育行政、市町村行政、基地問題の現場などを取材する。
琉球大学マスコミ学コース卒業後、県内各企業のスポンサードで世界30カ国を約2年かけて巡る。
2018年、北京・中央民族大学に語学留学。
1986年、沖縄県浦添市出身。著書に「沖縄人世界一周!絆をつなぐ旅!」(編集工房東洋企画)

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