沖縄の在来馬が減った理由の一つ「サトウキビが太くなったから」

 
与那国馬

 現存する日本在来馬8種のうち、宮古馬と与那国馬の2種が沖縄にいる。沖縄の人々の暮らしと馬は古くから密接に関わってきたが、今では各地の在来馬は頭数が激減してしまった。沖縄在来の馬を後世につなげることの重要性や、教育や医療などの分野で活躍してもらう意義などを学ぶ「沖縄在来馬を知るシンポジウム」(主催・全国乗馬倶楽部振興協会、共催・琉球新報社)が12月5日、那覇市の琉球新報ホールで開催された。世界にも類をみないという、走り方の美しさを競う琉球競馬や、一般農民でも馬を飼っていた歴史などを例に、沖縄で身近にいた馬について考えた。

人懐っこい沖縄の在来馬

 JRA(日本中央競馬会)の資料によると、日本在来の8種は北から北海道和種(北海道)、木曽馬(長野県)、野間馬(愛媛県)、対州馬(長崎県)、御崎馬(宮崎県)、トカラ馬(鹿児島県)、宮古馬、与那国馬(いずれも沖縄県)。

 宮古馬と与那国馬は遺伝的に非常に近いとされ、両方とも体高は110-115cm前後だ。現在では観光面でも活躍しており、温厚で人懐っこいことが特徴だという。

宮古馬

全国一馬が身近にいた沖縄

 シンポジウムの第一部では、スポーツニッポン新聞社専門委員で、中央競馬担当記者も歴任した梅崎晴光氏が「沖縄在来馬の歴史」と題して基調講演をした。梅崎氏は著書『消えた琉球競馬 幻の名馬ヒコーキを追いかけて』を2012年に那覇市の出版社・ボーダーインクから出版し、2013年にJRA賞馬事文化賞を受賞するなど、沖縄の競馬の歴史に詳しい。

スポーツニッポン新聞社の梅崎晴光氏

 梅崎氏は「琉球競馬や在来馬は沖縄の歴史、経済、政治、文化と一体となってきた」と、文字通り沖縄が人馬一体だったことを示した。沖縄で飼われた馬の数は、ピーク時の1936年には約4万6000頭(非在来馬含む)と、当時の人口が約60万人だったことを考えると、人口比にして全国で最多だった。

 馬が生活に密着していたのは、琉球の時代からでもあった。一般の農民でも馬を持ち、畑の鍬やサトウキビの圧搾機を引かせるなど、さまざまな役割があったため、当時の琉球にとって非常に大事だった。そのことから、馬にまつわる法律がどんどん制定されることとなる。

 1733年には牛馬を殺したり食べたりすることを禁止する法律ができた。このことについて梅崎氏は「仏教の影響がほぼなかった琉球でも肉食はあったが、このような法律は世界広しといえども少ない」と説明した。

琉球競馬の競争基準は「美しさ」

 琉球にも競馬があった。しかしそれは速さを競うものではなかった。同じ側の前足と後足を同時に出しながら歩く側対歩で、いかに美しく走るかを競うものだ。

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