島に渡る前に知っておきたい「与那城4島」の特徴と歴史
- 2021/12/20
- 社会
うるま市の与勝半島にはかつて旧勝連町、そして旧与那城町があった。勝連と言えば勝連城跡、平安名ワイトゥイ、平敷屋タキノー、浜比嘉島や津堅島など様々な見所がある。
一方、与那城の見どころはやはり海中道路だろう。そして離島で言えば海中道路を渡った先の平安座島、宮城島、伊計島、それから屋慶名港向かいの藪地島が旧与那城町だ。
今回は離島に特化した旧与那城町の知られざるスポットや逸話を紹介していこう。
沖合に鎮座する“聖なる岩”
沖縄本島から海中道路を渡り、まず足を踏み入れるのは平安座島だ。本島との行き来は、戦後しばらくまで干潮時に浅瀬を歩いて海を渡っていた。
島民の悲願だった島と本島を接続する海中道路を開通させるため、アメリカの石油会社を誘致した経緯がある。そのため現在では島の東部海域が大幅に埋め立てられ、巨大石油タンクが立ち並び、先の宮城島へ渡るには海岸線の一本道に沿って島の縁をグルっと回る形になっている。
その沿岸を走っていると、海の沖合に巨大な奇岩が見えてくる。
「ナンザ岩」という地元の人たちにとって聖なる岩だ。
旧暦3月3日の大潮に行う「浜下り」に合わせ、3月4日に島民が集い巨大な魚の神輿を担いで岩まで渡り歩き祈りを捧げる。この神事を「ナンザモーイ」と言い、岩の上に登った後、健康祈願、航海安全祈願、五穀豊穣を祈る。
そしてこの岩にはある特定の場所から眺めるとその姿が亀に見えるというもう1つの特徴がある。ただし、ほんの数メートル移動してしまうと亀の姿には見えなくなってしまう。
そのため近年では岩が亀に見える場所に「竜宮門」と書かれた赤い鳥居が建立され、誰でも容易に亀岩の姿を拝めるようになった。
2本目の橋は一体どこに
平安座島から宮城島へ渡るにはもちろん橋を渡るわけなのだが、一体どこで橋を渡っているのか気にかけたことはあるだろうか?
先述したように、平安座島の東部は大規模な埋立地であり、宮城島のすぐ手前まで埋め立てられた。両島の間には川のように見える人工的な水路が造られ、その水路の上に長さ20mほどの短い「桃原橋」が架かっているのだ。
宮城島は、平坦な土地が広がる平安座島や伊計島とは違い、標高の高い丘陵が広がるため「高離(タカハナリ)島」とも呼ばれる。その丘陵上からエメラルドグリーンに輝く絶景の海を見ることができるのが「果報(カフー)バンタ」だ。
また、カフーバンタの丘の一角には「三天御座(ミティンウザ)」という小さな鍾乳洞の中に祀られた御嶽があり、その名が表すように天・地・海の三つのエネルギーが集まるスポットだという。大きな岐路に立たされている時などに、良いエネルギーをもらえるそうだ。
島北部には三山時代に今帰仁城を追われた北山・今帰仁系の残党が築城したと伝わる泊グスク跡があり、その同世代に北山・今帰仁系の丘春が身を潜めたと伝わる読谷村渡具知の同名「泊グスク」との関連性も強く感じさせる。