沖縄出身者が作ったボリビアの学校とは?2か国語で授業、三線やエイサー、沖縄の風習が残る
- 2020/8/3
- 社会
沖縄の反対側に位置する南米のボリビアには沖縄県系人移住地のオキナワ村(コロニア・オキナワ)がある。教育施設は、公立や私立校などボリビア人が通っている学校が複数あるが、中でも日本の沖縄から移住した沖縄出身者が作った学校「オキナワ第一日ボ学校」がある。
児童・生徒数は約90名。小学校、中学校、高校までの一貫教育を行なっており、日本の小学1年から高校3年にあたる沖縄県系人や日本語を学びたい現地のボリビア人が通っている。
オキナワ第一日ボ学校の授業は他校とは一味違っている。午前はスペイン語で、午後は日本語で授業を受ける。さらに、沖縄の伝統文化である三線やエイサー、日本の常識や文化も学べるのだ。
どんな授業が行われているのか、なぜ日本語や沖縄文化が継承されているのかなど、オキナワ第一日ボ学校の日々の様子をのぞいてみた。
午前はボリビア国の必須の科目をスペイン語で学ぶ
ボリビアの学校は、始まりが早い。午前中はボリビアの教育課程に基づいて、朝7時半から1校時が始まり12時まで時間割がびっしり。国語、算数、社会、道徳などの必須科目がスペイン語で行われる。
ボリビアのお国柄もあって、日本の学校とは違う。先生達は授業開始の時刻が遅れても気にしない。座り方が悪くても気にしない。身だしなみも気にすることはない。生徒が授業中に勝手に歩き回っても気にすることはない。
また、教育制度も違う。日本は初等教育が6年間、中等教育が3年間、高等学校が3年間に対し、ボリビアの教育制度は初等教育が8年間、中等教育が4年間、大学が5年間である。
日本語の授業は「起立」ではじまる
午後は、お昼ご飯と休み時間をはさんで午後1時半から4時まで日本語の授業を受ける。
「起立!」日直が元気よく日本語で号令した。生徒全員が身だしなみを整える。午前中の授業とは真逆である。
「これから1校時の授業をはじめます」
「よろしくお願いします」
大きな声で挨拶し、授業が始まった。授業の始まりは日本とほとんど変わらない。
低学年クラスは、ひらがなやカタカナを学んでいる。中学2年から高校1年にあたる高学年クラスでは、漢字や読解問題、作文の授業が行われていた。
高学年クラスには、日本の子ども達と変わらないほどの日本語の会話力がある子もいる。驚くことに「好きな芸能人はEXILE」、「好きなテレビは世界の果てまでイッテQ」と日本の音楽もバラエティーもよく知っている。
三線やエイサー、沖縄文化も学ぶ
オキナワ第一日ボ学校では、沖縄の伝統文化、三線を学ぶ授業もある。三線の指導者は、1954年に16歳で沖縄からボリビアに移住した比嘉敬光さん(首里出身、82歳)。
練習している曲は、「童神」や「安里屋ゆんた」、「てぃんさぐぬ花」などの沖縄民謡。子ども達は、工工四を覚え、習った曲を豊年祭や敬老会、学習発表会など行事で披露するのだそうだ。
子ども達の元気な歌声と三線の音色が教室に響き渡り、まるで沖縄にいるような気分。沖縄から遠く離れたボリビアにいるということを忘れてしまう。
学校に通う子ども達にとって三線は身近な楽器であり、もしかすると沖縄の子ども達よりも身近にあるのかもしれない。
三線以外にも、運動会の時期が近づくとエイサーも学ぶ。目を輝かせながらバチを回す子供たちの姿は、堂々としていて力強さとたくましさを感じる。
沖縄の学校との交流授業も
沖縄の小学校や中学校との交流授業もある。ビデオ通話を使って、沖縄の学校と学校間で子ども達の交流をしたり、最近では名護市立大宮小学校6年生と授業の一環で「学校案内パンフレットを作ろう」の取り組みが両校で行われた。
生徒らは、学校の歴史や施設、行事など伝えたいことを調べ、オリジナルのパンフレットを作って送りあった。
「ボリビアの子たちの日本語力の高さや三線の授業があることにびっくりした。時間割や学校制度の違いに興味を持った」と話すのはパンフレットを受け取った大宮小学校の児童たち。
オキナワ第一日ボ学校の生徒は「学校のマスコットキャラクターを作ったと書いてあったので驚いた。パンフレットを読んで大宮小に行きたくなった。いつか会えるといいな」と沖縄とボリビアの学校との違いに驚いた様子だった。
先生は「交流授業は、両校の生徒同士の交流を通して、お互いの文化や歴史を深めることができる。今後も沖縄の子ども達とのつながりを作っていきたい」と話した。
沖縄の現職派遣教員の存在
午後の授業が終わると20分の掃除時間。オキナワ第一日ボ学校では、日本語を学ぶだけでなく、日本の常識や文化も学ぶ。挨拶やお辞儀の仕方、身だしなみ、掃除など日本の常識を教えているのだ。
この取り組みに日本語の先生は「これまで約30年間、沖縄から現職の教師が派遣されていたからです」という。
「派遣教師のおかげで、掃除以外に生徒会活動、ラジオ体操、エイサーなどの沖縄文化、日本の文化がたくさん残っています」と続けて話した。
海外の沖縄県系人社会の中でも、沖縄県から現職の教員が派遣されているのはボリビアだけ。派遣教師の存在に、沖縄とボリビアのオキナワ村の深いつながりを感じる。 そして、受け継がれる文化の背後には派遣教師の存在があるということを知った。
日本とボリビアの文化が入り混じる下校風景
下校する子ども達のカバンは面白い。「どこに旅行にいくの?」と思ってしまうが、ボリビアの子ども達にとってスーツケースは学校用のカバンなのだ。
カラフルなスーツケースをガラガラと音を立てながら引きずって歩く。中には、日本でランドセルを購入して、ランドセルで登下校する生徒や日本のアニメのカバンがあったりと、日本とボリビアの文化が入り混じった光景を見ることができる。
常に学校と地域が相互に連携
オキナワ村でスポーツが盛んになる6月上旬、放課後の学校の運動場で、駅伝大会と運動会に向けた練習がはじまる。生徒以外にも、卒業生の青年や婦人らも学校に集まり、生徒と一緒に練習に励む。
子ども達の運動を指導しているのは、スポーツ大会の監督で卒業生のお兄さん。子ども達は練習にくるお兄さんに会うと、「◯◯にーにー、こんにちは」と元気に挨拶する。お兄さんとお姉さんを、にーにー、ねーねーと呼ぶ沖縄独自の呼び方が残っている。
このように卒業生や地域が関わるのは、オキナワ村に「地域の子どもは、地域で育てる」という意識が根付いているからだ。地域全体で育てる風習が希薄化している現代の沖縄に比べ、ボリビアのオキナワ村は、地域全体が昔の沖縄のようである。
オキナワ村全体で子どもの成長を支える
オキナワ第一日ボ学校が1987年に創立されて32年。学校は常に地域と相互に連携し、協力しながら、社会全体で子どもの成長を支えている。
沖縄から派遣される教員の存在、日本語を学ぶ県系人子弟だからこそできる沖縄の学校との交流授業、そして、何より「地域の子どもは、地域で育てる」と昔ながらの沖縄の風習が根付いているからこそ、遠く離れたボリビアで日本語や沖縄の文化が受け継がれているのだろう。