消えた石橋と、今に残る巨大岩山を探る 〜浦添・牧港交差点の今昔

 
牧港交差点

 浦添の牧港は、その地名が表す通り「港」に大きく関わる土地だった。

 ある伝説では、後に中山王となる幼き舜天が、自身の父親である源為朝の帰りを待ち焦がれた場所ということから「待ち港」になったという説もあり、帰りを待っていたとされる洞窟テラブガマも現存する。1600年頃には「真比湊」と書いて、「まひなとぅ」と呼ばれていたようだ。その意味までは明らかになっていないが、現代も県道330号線から牧港へ降りていく伊祖インターチェンジに架かる橋には「まひなとぅ橋」と名付けられている。

 まひなとぅ橋を渡り、国道58号線向けに下って行くと、右手に牧港川が現れる。牧港川は西原町の幸地を源流とし、浦添グスク前と浦添大公園内を流れる2級河川だ。

牧港川に架かる五つの橋と幻の石橋

 牧港川を挟んで南北を行き来するには橋が不可欠で、この地区だけで5つも存在する。

 一本目はパイプライン通りに架かる境橋。二本目は、軽便鉄道が走っていた道に架かる牧港第二橋。三本目は牧港橋。牧港第二橋よりも少しだけ58号線寄りに架かる橋で、前回紹介したA&W牧港店入り口にあった橋跡へと繋がる。四本目は新牧港橋、牧港自動車学校側からコンベンションセンター前に抜けられるあの大きな橋だ。そして五本目は国道58号線の牧港交差点そのものである。

 道路の幅員が広すぎて気付きにくいが、牧港立体交差点の下は河口になっており、牧港川と宇地泊川の上を渡っている(冒頭写真)。戦前までは国道58号線も交差点も存在せず、河口が現在と比べ広かったため、川を渡るには内陸まで迂回する必要があった。そして実はその場所に、今や幻となった石造りの「牧港橋」が存在していたのだ。現代版牧港橋とは位置も異なり当時の名残は見て取れないのだが、前回お伝えしたハイネの絵の中に描かれていた。

手前の橋とは別に、後方左側にも石橋が描かれている(ラブ・オーシュリ、上原正稔『青い目が見た「大琉球」』より引用)

 左側奥に見える3連アーチの橋が、今は無き幻の牧港橋だ。

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