【戦後76年 慰霊の日】出来事と記憶をどう語り継ぐか 映画のなかの沖縄戦①

 
女学生たちの慰霊碑「ひめゆりの塔」に花を捧げる若者(1950年撮影、沖縄県公文書館所蔵)

歴史描く作品の「怖さ」

 一方、同じような題材を扱った“忘れられたひめゆり映画”として『太平洋戦争と姫ゆり部隊』(小森白監督、1962年)にも言及した。が、これについては「史実を完全に捻じ曲げた」作品の例としての紹介だ。

 自衛隊が全面協力し70ミリフィルムで撮影されているなど、かなりの予算も注ぎ込んだ超大作で、沖縄戦全体を描いているという。しかし、作品全体のトーンは「とにかく“お国のため”という作者の意図が丸出し」。多くの住民が犠牲になった戦地の凄惨さは描かれておらず、沖縄の住民が東北弁をしゃべっていたり、姫ゆり部隊の少女たちが“大和撫子”として毒薬を飲んで自決したところに米兵が訪れて“謎の敬礼”をするなど、「とにかくもう、めちゃくちゃなんですよ」

 10数年前、平良さんがこの映画についてインターネットで検索したことがあった。すると、県外の右翼的な女性団体がこの映画を題材にして「沖縄戦を学ぶ」という勉強会を開催する旨の告知を見つけたという。些細なことかもしれないが、引っ掛かかるものがあった。

「映画も含めてですが、作品って怖いものだなと思います。ある程度の知識を持って、めちゃくちゃな映画を笑い合って話せるのであればいい。でも、ごく少数ですけど本気で受け取る人たちもいるんですよ。いずれこうした作品を馬鹿にして笑って終わり、というわけにはいかない時代になるかもしれない…いや、もうなっています」と、危機感も滲ませた。

 そのほか、ひめゆりを巡る映画は、53年版を撮った今井正監督が1982年に同名の『ひめゆりの塔』で再映画化し、28年越しに沖縄現地ロケを果たす。その後、戦後50周年記念作品として1995年にも神山征二郎監督が『ひめゆりの塔』を撮っている。

「5本のひめゆり映画を挙げましたが、それぞれ撮影された時代ごとに描き方が全然変わっていくんです。例えば、68年の『あゝひめゆりの塔』は高度経済成長の真っ最中の時期。オープニングでは当時の若者に『ひめゆり部隊を知っていますか?』とドキュメンタリー風に問いかけて、戦争を知らない若い世代に関心を持たせるための“ツカみ”の演出に工夫をこらしてます。そういった導入の違いにも注目してみると、また違った視点で見ることができて面白いですよ

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真栄城 潤一

投稿者記事一覧

1985年生まれ、那覇市出身。
元新聞記者、その前はバンドマン(ドラマー)。映画、音楽、文学、それらをひっくるめたアート、さらにそれらをひっくるめた文化を敬い畏れ、そして愛す。あらゆる分野のクリエイティブな人たちの活動や言葉を発信し、つながりを生み、沖縄の未来に貢献したい、と目論む。

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