ライブはもう「良い意味で」元通りにはならない 那覇市「Output」

 
昨年2月ごろのイベントの様子(Output提供)

地元のライブハウスとして

 濱里さんは首里高校を卒業して上京し、音響の専門学校で聴衆に音を届けるためのPAシステムの技術を学んだ。その後、東京都内の「新宿ロフト」などのライブハウスで7年程PA技術を磨く。沖縄に戻ると「桜坂セントラル」でしばらくPAを務めて、現在のOutputをオープンした。

 ライブにまつわる原体験は中学校3年生の時、牧志にあったライブハウス「パロディ」(2008年閉店)で爆音に包まれた時だった。「なぜか『こんなに大きい音出して怒られないのか』と思ったのを鮮明に覚えている(笑)。中3の自分にとっては、ライブの体験がディズニーランドに匹敵するくらいの非日常感で、その感覚がずっとある」

 目指すのは「地元のアーティストが根付くハコ(ライブハウスのこと)」だ。もともと“地元密着型”を目指していたし、沖縄という立地ではそうならざるをえない面もある上、現在はコロナ禍になったことで「地元の人が出ないと、生き延びるのがより難しくなった」と話す。実際、コロナ禍になってからのライブでは「地元のアーティストや芸人さんに本当に助けられている」という。

 加えて最近は、ライブハウスの営業に不可欠なアルコール類を酒屋からまとめ買いすることを心がけている。「飲食店などと違って、酒屋さんには支援金や助成金があまりいってない状況なので、微々たるものかもしれないが少しでも現金を回すようにと思っている。ライブに来た時には、応援する気持ちでいつもより1杯多く飲んでくれたら嬉しい」。

 Outputは今年4月には10年目に突入する。今後9周年のライブイベントも複数決まっており、県内外の出演者が名を連ねる。当然、感染対策を徹底しての開催を予定している。

 濱里さんは「これからはコロナ前よりもハートフルなライブが溢れると思っている。その意味で、元通りにはならない」と強調し、「コロナがいつ明けるか分からないけれど、ライブやエンタメにはいつでも希望がある。これまでとは違った、新しいフェーズのライブを体験する機会を提供できる場でありたい」と語った。

◆Outputでのライブ情報はWEBサイト

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真栄城 潤一

投稿者記事一覧

1985年生まれ、那覇市出身。
元新聞記者、その前はバンドマン(ドラマー)。映画、音楽、文学、それらをひっくるめたアート、さらにそれらをひっくるめた文化を敬い畏れ、そして愛す。あらゆる分野のクリエイティブな人たちの活動や言葉を発信し、つながりを生み、沖縄の未来に貢献したい、と目論む。

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