文化としての「食」に向き合う 棚橋俊夫さんの精進料理(1)

 

首里城では精進料理を食べていた?

 棚橋さんには、独自に考えた仮説がある。「かつての琉球王国の健康長寿を支えていた のは、精進料理だったのではないか」というものだ。

 伝統的な器で、数々の作品が県の文化財にもなっている琉球漆器。漆器は「神聖なものを盛る器」で、料理と器を一体とする精進料理の精神性に基づいたものだ。漆器がかつての琉球の生活の一部に組み込まれていたのは、精進料理の影響が少なからずあるのではないかとみている。
 そして、最大のポイントは禅寺の円覚寺が首里城のお膝下に置かれていたことだという。日本とも中国とも交流していた琉球にとって、その双方とコミュニケーションをとることができたのが寺の僧侶で、政治的・社会的にも大きな役割を担っていた。「当時のお坊さんは国政にも関わる、いわばエリート。禅寺の僧侶であれば精進料理を実践していたはずなので、少なくとも王府の人たちは健康に配慮して日常的に口にしていたと思う」と推察する。

 その精進料理の“名残”は、現在の沖縄の食生活に浸透している食材にもみてとれる。その一例として、昆布を多用することが挙げられる。昆布は精進料理で、出汁をとるための重要な植物由来の食材だ。現在の沖縄の料理でも、ソーキ汁は豚の出汁に加えて昆布が入る。清明祭(シーミー)などの行事の際に作る重箱にも結び昆布は欠かせない。また、豆腐も精進料理には必需品の素材だが、こちらも重箱にはもちろん、日々の生活で島豆腐が当たり前のように使われている。

ごまの旨味と香りを閉じ込めたごま豆腐

 「昆布を始め、そもそも精進由来の食材がこれほど普及したのは、琉球が中継貿易をしていたという要因もあるが、庶民生活への広がりがあったのは精進のフィロソフィーが認知されていたということの証左なのではないか」

 こうした考察や推論をもとに、棚橋さんは文献を調べたが、琉球王朝と精進料理との関係について記述されたものはまだ目にしたことがないという。「首里城再建の機運も高まる中、当時の食にきちんと着目することで浮かび上がってくる文化の在り方が確かにあると思う。琉球精進料理の復活を願い、県民の健康と財産に貢献したい」

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