那覇軍港移設問題 「翁長前知事の思いを汲んで前に進めるべき」 翁長政俊元県議
- 2020/9/29
- 政治
米軍那覇港湾施設(那覇軍港)の那覇港浦添ふ頭への移設を巡り、今年8月に沖縄県、那覇市、浦添市の3者は、那覇港湾内北側を埋め立てる「北側案」で合意、軍港移設問題の解決に向けて足並みがそろう形となり、50年近くにわたって足踏みが続いていたこの問題が大きく前進したことになる。
これまで浦添市の松本哲治市長が市の西海岸開発の観点から「南側案」を主張する一方、翁長雄志前知事や玉城デニー知事、城間幹子那覇市長は、軍港がビーチの目の前に来る「北側案」を推進してきた。なぜ「北側案」となったのか。そのメリットについて那覇港管理組合議会の議員を長く務めた翁長政俊元県議会議員に聞いた。
那覇軍港移設問題の経緯
まず、那覇軍港の移設問題をめぐる経緯を振り返る。戦後すぐに建設された那覇軍港は、1974年に移設を条件に全面返還をすることで日米両国が同意。2001年に浦添市の儀間光男市長(当時)が那覇港浦添ふ頭への代替施設の受け入れを表明した。
国、県、那覇市、浦添市で構成する協議会は03年、那覇港の北側を埋め立てて代替施設を建設する案で一度は話がまとまり、07年には施設規模や形状などが、日米地位協定にまつわる事柄を協議する「日米合同委員会」で最終合意された。
しかし、13年に、浦添市西海岸の大半を覆う形で立地する米軍牧港補給地区(キャンプ・キンザー)が25年以降に全面返還される計画が持ち上がる。13年に初当選した現職の松本哲治浦添市長は県や那覇市に再協議を呼びかけ、1期目に“軍港自体の受け入れ反対”、2期目に“ビーチ目の前の港湾内北側ではなく南側への建設”を訴えるも、それぞれ「断念」(松本氏)、日本政府と米軍も北側案を推し始めたことも引き金となり、2020年8月に軍港の従来計画を受け入れることとなった。併設する民港部分については開発の在り方を巡って協議が続いている。