“クセが凄い”杜氏が語る「津嘉山酒造所」の泡盛と歴史

 
「津嘉山酒造所」の正面入り口

 沖縄県名護市。看板表示に従って一方通行のスージ(路地)に入ると、広い敷地に赤瓦屋根で年季の入った木造の平家が建っている。佇まいを引き締めるような紫色ののれんに大きく書かれた「國華」という文字がなければ、ここが泡盛を造っている場所ということには気づかなかったかもしれない。

 國華は「津嘉山酒造所」の泡盛の銘柄だ。この酒造所では、仕込み、蒸留、瓶詰め、そしてラベリングまで、杜氏の秋村英和さんが全て1人でこなす。実際に会えばすぐ分かると思うが、秋村さんは一言で言うとクセが凄い。が、やりとりをしている中で止めどなく出てくるエピソードはどれも無類に面白く、笑いながら会話していたら、気がつけばかなりの時間が経過していた。
 酒造所を案内してもらいながら、建物の歴史や泡盛造り、そして食文化としての泡盛のあり方などについて話を聞いた。

蒸留施設について説明する杜氏の秋村さん

戦前沖縄の残り香漂う建物

「昭和20年4月に中部の読谷村に米軍が上陸して、4月7日、名護の人たちはすぐ北部の森に逃げました。つまり1週間で名護の沖縄戦は終わってしまっているので、ここは被害が軽微だと思われがちですが、実は形があるものが全て粉砕されたのが名護で、周りが破壊されてこの建物(津嘉山酒造所)が残ってるのはおかしいじゃないか、と思われます。戦中、米軍の偵察機はこの建物だけが写っている写真を上空からのアングルで何枚も撮っているんです。アメリカはこの建物を意図的に破壊していなかったんですね。
 (屋内の梁を示して)ここに英語で『OFFICERS QUATERS(オフィサーズ・クォーターズ)』と書いてあるんですが、英語をあんまり分かんないおじいおばあでも、この横文字を見たら真顔になって『ここは戦後、米軍が何かに使っていたんじゃないか』と聞くわけですよ。実は戦中は北部侵攻の司令部になっていて、実際に戦車が停まっていたのも確認されている。戦後は北部を管理する事務所として米軍に接収されてたんです。その時に泡盛造りはどうしてたかというと、酔っ払って暴動を起こされちゃ困るってんで製造は禁止。その代わりパン工場として稼働させるために、わざと残されてたんですよね」

 酒造所についての説明のほんの触り部分だ。この他にも、庭に3本並ぶ「黒木」の樹齢が物語る年月、本土の様式を取り入れた家屋の作り、戦後当時の社長と従業員の働きぶりや暮らしぶりなど、たくさんの歴史が詰まった施設を巡りながら秋村さんの淀みないマシンガントークが炸裂する。
 建物は1927(昭和2)年に建設され、赤瓦葺き屋根の木造建築としては最大級。文化庁から文化財指定されているため、泡盛の購入者だけでなく、建物を見に訪れる観光客も多い。

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