どうして違う? 本土のお盆と沖縄の「旧盆」
- 2021/8/14
- 社会
新暦が馴染みづらかった沖縄
まだ国民の大半が農民だった明治初期の日本では、新暦の7月半ば(旧暦の6月半ば)は農繁期になっており、お盆(7月13日〜15日)と同時期に重なってしまえば、大きな負担になる。そこで、お盆の期間を丸々1ヶ月遅らせることで、旧暦の7月半ばに近い新暦の8月13日から15日で固定したのだ。
しかし琉球は違った。もともと中国文化の影響が強いこと、漁師が多く月と潮の満ち引を基準とする陰暦の方がより重要であったこと、さらに明治初期は琉球藩から沖縄県へと遷り変わる激動のタイミングであったこともあり、新暦への切り替えは随分馴染みにくい環境だった。
それが今日でも旧暦を重んじ、季節毎の行事やお盆を旧暦で行う習慣につながっているのだ。特に漁師町では、今でも新正月より旧正月を盛大に祝っている。
沖縄旧盆の3日間
沖縄の旧盆は、段取りの一つ一つが独特だ。
初日は、ご先祖様を迎える日で「ウンケー」と呼ばれ、ウンケージューシーを用意する。
ジューシーとは雑炊のことで、雑炊は水分を多く含むので量を嵩増し出来る。かつては食料が乏しくても、ご先祖様を迎えるにあたって、これだけの気持ちを込めてお迎えしますと伝える意味もあったという。さらにジューシーには香りの強い「フーチバー(ヨモギ)」の葉を混ぜるものもあり、中にはショウガの葉を混ぜた特徴的なものもある。
これらの強い香は、あの世から「チガリムン(仏教でいう餓鬼)」という自分たちの先祖以外の余計な霊が着いて来てしまった場合、ジューシーを食べられないようにするためだと言われる。一方で、ウチナーンチュならではの優しさもあり、チガリムンたちが食べたり持っていってもいい「ミンヌク」というサトウキビの切れ端や、野菜の切れ端を入れた小鉢もお供物の中にあったりする。