始まりは1本のビデオテープ、オハイオ州に鳴り響く諸見里エイサー
- 2021/1/31
- 社会
全ては「たまたまそこにあったビデオテープ」から始まった。約25年前の1995年、米国オハイオ州へ渡った沖縄出身の女性が持ち込んだ1本のVHSビデオテープに収録された沖縄市諸見里青年会のエイサー。見よう見まねで踊りを覚え「オハイオ諸見里エイサーグループ」が誕生、エイサーが受け継がれている。衣装は諸見里青年会に共通する赤と黒を取り入れた。当時テープと一緒に渡米した女性はすでに故人となってしまったため、オハイオ州でのエイサーの発端を直接知っている人は誰もいないが、聞き伝えでその歴史が伝わっている。
お土産にもらった「諸見里青年会のエイサー演舞」
沖縄から米国オハイオ州に渡米した故人・きいこウェイドさんは、1995年に沖縄に里帰りした際、VHSのビデオテープをお土産にもらった。そこには、世界遺産「中城城跡」で踊っている諸見里青年会の迫力ある演舞が収録されていた。
1995年は、米国オハイオ州に渡米した沖縄県出身の女性ら数名によって県人会「オハイオ州沖縄友の会」が設立された年で、設立記念としてたまたまそこにあったビデオテープに映るエイサーをやろうと軽い気持ちで呼びかけたという。
現在、オハイオ州沖縄友の会の会長を務めているのは照屋和美さん。「多くの人々に沖縄の伝統文化を理解してもらう機会を持ち、2世、3世へも沖縄の文化を継承する責任がある」とエイサーグループをサポートしている。
当時の会員はほとんどが50代
驚くことに発足当時の会員の年齢はほとんどが50歳を超えていた。VHSビデオテープをダビングして配り、1ヶ月に1回、公園などに集まって練習を重ねていった。
「そのテープは練習用ではないので、覚えがいい人はできるが、ほとんどの人ができなかった。幸いにも完全にコピーをしている人が数名いたので、その人を先頭に覚えていった。何度も繰り返しビデオを見ながら動いて、どうにか形になった」と発足時の苦難を語った。
それからまもなくは、エイサー活動がうまく続いていたが、年数が経過し、当時50代だった会員は、現在70代や80代に。これまで中心となって引っ張ってきた人は足腰が立たず、体が動かない、指導ができないが重なり、存続の危機が危ぶまれている時期が訪れていた。
照屋さんの元には、「オハイオ州沖縄友の会の思い出は頑張ってきたエイサーの音や踊り。絶対に絶やさないでほしい」と泣きながらすがるおばあちゃんもいた。