戦前戦後、変わる景色と変わらぬ空間 マチナトハウジングシリーズ③

 
1977年の航空写真に現在の施設をマーキングしてみた

 マチナトハウジングシリーズ第三弾は、上之屋・安里エリアの戦後の移り変わりを感じられる空間をいくつか紹介しよう。このエリアの一部には、1980年代まで米軍マチナトハウジングの南端と上之屋ハウジングがあり、集落とベースハウジングが隣り合う特殊な場所であった。

 現在、上之屋の小高い丘上にある巨大な泊配水池は、元々戦前に建てられた泊浄水場であった。沖縄戦によって破壊され、一時米軍管轄になった後沖縄に返還された。戦前から同様の機能を維持し続ける数少ない存在だ。配水池から南向けに、古い家屋も残る住宅街へと下っていくと、新旧の時代を感じる二つの公園が現れる。

宮古島のあやぐが鳴り響いた森

 一つ目は、新都心には似つかわしくないほど緑が生い茂る「タカマサイ公園」だ。タカマサイとは、宮古島出身の人物名だと言われている。

 察度王統時、宮古島から初めて與那覇勢頭豊見親という豪族が中山へ入貢したが、王府の人間とは言葉が通じなかったという。そこで、與那覇勢頭豊見親は自身の家臣である高真佐利屋(タカマサイ)に中山の言葉を学ばせ通訳にした。高真佐利屋は離れ故郷への哀愁からか夜な夜な狼煙台に登っては、宮古島に向かって「あやぐ(宮古の言葉で「歌」の意)」を歌ったと言われている。

 その狼煙台こそが現在の泊配水池であり、彼らの屋敷跡がタカマサイ公園として整備されている。敷地内にある拝所は、與那覇勢頭豊見親の子孫や郷友会によって管理されている。

タカマサイ公園内にある拝所

 ハウジング敷地内だった頃の写真にもしっかりと森が写っており、米軍も神聖な場所という認識で手付かずで残したことを感じられる空間だ。

Print Friendly, PDF & Email
次ページ:

1

2 3

関連記事

おすすめ記事

  1.  沖縄県内各地域で受け継がれてきたその土地の言葉「しまくとぅば」。文化やアイデンティティの…
  2. サッカーの沖縄キャンプをPRする(左から)まーちゃん、尾形貴弘さん、髙原直泰さん=1月10日、豊見…
  3.  台湾の金門島をご存じでしょうか?「台湾の」と書きましたが、島の位置としては「え?なんでここが台湾…
  4.  沖縄の「長寿県」という称号はもはや過去のものとなった。厚生労働省が12月23日に発表した…
  5.  年末が差し迫ってきて「そろそろ大掃除の時期だな…」と感じ始めている人も多くなっている今日…

特集記事

  1.  八千代エンジニヤリング株式会社(東京都)はこのほど、琉球大学工学部の神谷大介准教授と共同…
  2. 今年の正月に首里城で開かれた「新春の宴」にて  2022年は観光業界だけでなく、経済界も含め…
  3.  沖縄県と沖縄観光コンベンションビューロー(OCVB)は1月4日、首都圏・阪神圏在住の現在…
ページ上部へ戻る ページ下部へ移動 ホームへ戻る 前の記事へ 次の記事へ