戦前戦後、変わる景色と変わらぬ空間 マチナトハウジングシリーズ③
- 2021/5/27
- 社会
マチナトハウジングシリーズ第三弾は、上之屋・安里エリアの戦後の移り変わりを感じられる空間をいくつか紹介しよう。このエリアの一部には、1980年代まで米軍マチナトハウジングの南端と上之屋ハウジングがあり、集落とベースハウジングが隣り合う特殊な場所であった。
現在、上之屋の小高い丘上にある巨大な泊配水池は、元々戦前に建てられた泊浄水場であった。沖縄戦によって破壊され、一時米軍管轄になった後沖縄に返還された。戦前から同様の機能を維持し続ける数少ない存在だ。配水池から南向けに、古い家屋も残る住宅街へと下っていくと、新旧の時代を感じる二つの公園が現れる。
宮古島のあやぐが鳴り響いた森
一つ目は、新都心には似つかわしくないほど緑が生い茂る「タカマサイ公園」だ。タカマサイとは、宮古島出身の人物名だと言われている。
察度王統時、宮古島から初めて與那覇勢頭豊見親という豪族が中山へ入貢したが、王府の人間とは言葉が通じなかったという。そこで、與那覇勢頭豊見親は自身の家臣である高真佐利屋(タカマサイ)に中山の言葉を学ばせ通訳にした。高真佐利屋は離れ故郷への哀愁からか夜な夜な狼煙台に登っては、宮古島に向かって「あやぐ(宮古の言葉で「歌」の意)」を歌ったと言われている。
その狼煙台こそが現在の泊配水池であり、彼らの屋敷跡がタカマサイ公園として整備されている。敷地内にある拝所は、與那覇勢頭豊見親の子孫や郷友会によって管理されている。
ハウジング敷地内だった頃の写真にもしっかりと森が写っており、米軍も神聖な場所という認識で手付かずで残したことを感じられる空間だ。