首里城は誰にとってのシンボルなのか 再建を考える(下)
- 2021/1/8
- 社会
一方、屋嘉部さんは沖縄市出身。「そもそも首里に行く用事がないし、首里城も特に行く場所というわけではなかった」という距離感だ。
火災はツイッターで知った。驚きはしたものの、あくまで数あるニュースの中の1つで「悲しさとかを感じるほどの実感はなかった」と淡々と語る。首里城はあくまで観光地の1つで、それは例えば「青い海」や「沖縄のおばぁ」などといったイメージと並列にある感覚だという。
加えて「建て直しの話までの展開がかなり速かった」「首里城について『アイデンティティ』とか『心のよりどころ』という言葉が押し出されていたのはピンとこない」という感想は仲里さんと一致する。
新しい意味づけと機能性が必要
急ピッチで進む再建を巡る議論を「ちょっと待った」という懐疑的な目で見つめる2人。意見の単純化や議論の拙速さを懸念しているのであって、決して再建の動きそのものを否定しているわけではない。
居住する地域や世代などで認識の違いはあるが、首里城焼失は歴史や文化、そして観光などの経済的要素も含めた首里城の存在について沖縄県民としてどう向き合うか、あるいはどう向き合ってきたかを言語化する1つの機会になっている。
「極論になるが、正殿をあえて復元し直さずに現在のVRやプロジェクション・マッピングの技術などを活用しながら、“あったという事実”に対峙しながら考えることもできる。実際、世界遺産に登録されているのは復元された建物ではなく、首里城跡の方だ。これまでとは全く違う形のあり方をもっと議論してもいい」と仲里さん。
「心のよりどころ」「アイデンティティ」という概念と首里城との短絡的な結びつきも警戒している。「再建の動きの中で首里城と沖縄県民のアイデンティティとを接続するのはナンセンス。県民の中にはそこにアイデンティティを求めない人も当然いる。こうした議論には政治的な要素も多分に入ってくるので、その部分で特に沖縄のメディアが“個”と“全”を一緒くたにしてしまうのは危ない」
屋嘉部さんは「いっそのことシンプルに『経済のために迅速な再建が必要』と打ち出してくれた方が腑に落ちる」ときっぱり。ただ、仮に経済優先を表明するとしたら、具体的なヴィジョンやエビデンスも同時にきちんと示す必要性も強調する。「議論を急いていたずらに予算を注ぎ込むよりは、その分を貧困など沖縄の社会的な問題解決に使った方がいい」
また、アイデンティティを巡る議論に関しては「個人的には建物にアイデンティティを求める感覚はない。思い出ならあるかもしれないが。そもそも『首里城が沖縄のアイデンティティ』という1つの方向にまとめ上げようとすることは、多様性とのズレも出てくるし時代にも逆行している。これでは多くの人が納得する形での再建は実現しない」と強調した。
その上で「教育機関の設置を検討した方が将来的に沖縄の発展に寄与するのでは」と提案する。
「少し突飛かもしれないが、昔みたいにまた琉大を首里城に戻してみるとか。あるいは、学部の一部のキャンパスだけ移してもいい。県立芸大もあるので、学生街のような良い雰囲気が出来上がるかもしれないし、アクセスも良くすればもっとちゃんと県民が親しみを感じられる場所になる。
いずれにせよ、再建をするのであればこれまでとは違った新しい意味づけと機能性について考えなければいけないと思う」