アルゼンチン国旗色の三線 アンドレスさん新人賞、県工芸公募展

 

 沖縄県主催の「第43回県工芸公募展」の表彰式が、那覇市の県立図書館で2020年12月26日に行われ、染め物や陶器、木工芸など一般、育成の両部門で95点の応募があり、計16作品が表彰された。その中で、育成部門の新人賞にアルゼンチン県系3世の佐久田アンドレスさんの作品「三線」が選ばれた。母国アルゼンチンのカラーに仕立てた三線は、惹きつけられる存在感を放ち、沖縄だけでなく海外からも賞賛の声が届いた。アルゼンチンで生まれ育ったアンドレスさんが作品を通して伝えたい思いとは。三線製作との出会いなど、話を聞いた。

2年前に三線製作に出会う

 アンドレスさんは、浦添市前田出身の祖父・佐久田朝信さんが1931年(昭和6年)にアルゼンチンへ移民した。三線は、琉球古典音楽野村流音楽協会師範の銘苅盛隆氏に師事し、2019年7月に琉球古典芸能コンクール三線部門で新人賞を受賞。空手は、沖縄小林流空手道協会志道館無聲塾に所属し、黒帯の腕前を持つ実力。三線と空手の他にも、うちなーぐちを学び、時にはうちなー芝居に出演するなど、率先して沖縄の文化を学んでいる。

 そんなアンドレスさんが、数年前にはじめて学んだのが三線製作だった。2019年に三線製作事業協同組合主催の「三線大学」という講座に参加し、職人から棹材の削り出し、組み立て、仕上げなど三線作りを学ぶも「まだ足りない」と、三線製作事業協同組合加盟店である那覇市の尚工房の三線職人・岸本尚登さん(51)にお願いして工房に通うようになり、指導を受けながら製作を学んでいった。

尚工房にてインタビューに答えるアンドレスさん(写真提供:本人)

三線はただの楽器ではなく、文化の象徴、島の宝物

 アンドレスさんの作品は、母国アルゼンチンの国旗の青白青の三層に太陽のシンボルのデザインで仕立てた三線。仕事の合間を縫って工房に通い、かかった製作期間は4ヶ月。「一番難しかったことは歌口と端、頭を綺麗に整えることだった」と振り返り、アンドレスさんは「ウチナーンチュにとって三線はただの楽器ではなく、文化の象徴で島の宝物。三線の音色は、沖縄の魂を感じ、聞くたびに心に響く。そんな宝物を作れることはすごいこと。三線製作に誇りを持っている」と三線への特別の思いを語った。

 母国アルゼンチンと故郷沖縄から生まれた作品には、沖縄だけでなく海外からも賞賛の声が届き、その後、新人賞を受賞したことがわかったアンドレスさんは「努力が認められて嬉しい」と喜んだ。

 「海外のウチナーンチュもこれだけ沖縄のことを思っている。海外のウチナーンチュもちばとんどーを伝えたい」といい、勉強中のうちなーぐちを使って「”成しば何事ん成ゆる事やしが、成さん故からどぅ成らぬ定み(一生懸命頑張れば、何事でも成し遂げることができるけれど、挑戦しなければできるものもできない)」と黄金言葉でメッセージを込めた。

 さらに「この作品が沖縄県民の刺激となり、県民も沖縄の文化や歴史、親ふぁーふじ(先祖)から受け継いだことを大事にしていってほしい」と希望を語った。

新人賞を受賞した佐久田アンドレスさんの作品「三線」(写真提供:本人)

訪れる度に強くなる「沖縄への思い」

 なぜアンドレスさんはここまで沖縄に思いを寄せるのか。きっかけは、2011年夏、浦添市が実施している南米移住者子弟受入事業で研修生として、初めて沖縄を訪れた時だった。半年間、日本語や三線、琉球舞踊など文化研修、自治会や市民との地域交流を行った。

 アンドレスさんは、父親から浦添市にルーツがあることを聞いていた。しかし、父親も13歳の時に父(アンドレスさんの祖父)を亡くしているため、父親をはじめ家族みんながそれ以上のことは知らなかった。「知らなかったというより、知ろうとしなかった」とアンドレスさん言う。

 「私は、子供の頃(6歳〜12歳)、週1回日本語学校に通っていました。両親が日本語を話せないのに通う意味が分からず、なんで日本語を勉強しているのだろうと思っていました。その時の先生が嫌いで、その影響で幼い頃は日本のことが嫌いだった。だから沖縄や浦添市のことにあまり興味がなかった」と明かす。

 そこから大人になっても特に沖縄への思い入れが増すことがなかったアンドレスさんに、アルゼンチンの浦添市人会会長から「浦添市の南米移住者子弟研修生受入事業に応募しないか」と声がかかった。「自分のルーツを知るきっかけになれば」と研修に志願したアンドレスさんは沖縄を訪れたとき「不思議なことに故郷に帰ってきた感じがした」と話す。

 半年間の研修で少しずつ沖縄の魅力を知り、つながりが生まれる中でアンドレスさんの沖縄への想いが変化していく。「親戚と会って、祖父が確かにこの地で生まれたということを感じた。沖縄の文化に触れて、いろんな場所を訪れ、自分はこんなに美しい沖縄とつながっていたんだ。いつか沖縄に移住したい」と思うようになった。

三線と空手に励むアンドレスさん(写真提供:本人)

沖縄移住の夢を持ち、アルゼンチンで努力

 アンドレスさんは、アルゼンチンへ帰国後も、仕事をしながらお金を貯め、日本語や三線、空手を学び続けた。2015年には祖母の出身地である那覇市の研修生として来沖、2016年には再び浦添市の研修生として訪れ、その度に沖縄への思いを強くしていった。

 2016年の第5回世界のウチナーンチュ大会では、沖縄県から将来におけるウチナーネットワークの担い手となる「次世代代表」に選ばれ、浦添市からは「ウラシー民間大使」に認証されるなど、母国アルゼンチンにおける沖縄県、浦添市との架け橋として活躍を続けている。

 そして、2017年1月に夢であった移住を叶え、今に至る。「移住する夢は遠かった。それでもずっと夢を諦めずに、アルゼンチンで頑張った」と話す。

母国アルゼンチンと沖縄、浦添の架け橋に

 アンドレスさんは現在、祖父の出身地である浦添市前田の福祉施設で介護の仕事をしながら、合間を縫って三線と空手の稽古、うちなーぐちの勉強、三線製作の日々を過ごしている。

 「沖縄に移住して、その中で沖縄の伝統的な文化を知った。私のような沖縄にルーツを持つ子弟に沖縄の素晴らしさを伝え、沖縄との架け橋になりたい」と語り、母国アルゼンチンと沖縄、浦添の架け橋として伝統文化の普及や国際交流推進のためにできることをやっていきたいと意気込む。

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安里 三奈美

安里 三奈美

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ボリビア在住3年、1児の母。フリーライターとして観光や沖縄県系コミュニティーについてWEBや紙媒体で執筆、寄稿等を行う傍ら、家系図や家族史・自分史の制作会社の代表も務める。2011年に県系の若者をつなぐネットワークを構築、県系若者が集う大会を世界各地で開催。2015ミスうるま。著書に「刻まれた21cm」(文芸社)

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