【戦後76年】戦跡を巡る③ 戦後から時が止まる南風原山中の壕群

 
高津嘉山の山中には、今でも大規模な壕群が広がっている

 太平洋戦争末期の沖縄戦では、首里城の地下に日本陸軍沖縄守備隊第32軍司令部が築かれ、戦後そのままの状態で封印された。先の首里城正殿の焼失・復興再建計画に伴い、地下司令部壕の公開を求める声が上がっている。
 この司令部は、首里城地下に設置される以前は南風原の津嘉山に築かれており、その大きさは県下最大のものだった。

壕群が張り巡らされた南風原

 米軍との地上戦を控えた沖縄では、開戦前の1944年夏、南風原の高津嘉山に第32軍司令部壕が構築されていた。山中に高さ2m、総延長2000mにも及ぶトンネルが張り巡らされ、3000名もの兵士や十数名のひめゆり学徒隊も配置されていたという。

 しかし10.10空襲を受けた際、土壌の強度を不十分とし、岩盤の強度が高い首里城地下に新しく司令部壕を構築し、移動したのだ。その後、高津嘉山壕には軍の一部が残され機能していたが、戦後は手付かずのままとなり、現在も山中に大規模なトンネルが残っていると言われる。近年のバイパス道路工事に伴う発掘調査の際、壕の一部が現れたが再び埋め戻されている。

 また、字喜屋武には「黄金森」があり、山中に「沖縄陸軍病院」が作られれた。現在その一部である「沖縄陸軍病院南風原壕群20号」が戦跡文化財として保存され、見学することが可能だ。壕内には無数のトンネルが張り巡り、病院長以下、軍医や看護婦、衛生兵ら350人に加え、ひめゆり学徒222名も動員された。戦中、数千名の負傷兵が次々と運び込まれたという。

 しかし設備や薬が乏しく十分な治療が行えず、ランプの灯りを頼りに、麻酔を施さない手術や手足の切断なども常習的に行われた。

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