いまや幻の「琉球切手」を探してみよう

 

 1945年、第二次世界大戦が終戦を迎え、敗戦国である日本の一部、沖縄および奄美群島はアメリカの占領を受け、復帰を果たす1972年までアメリカ軍政下に置かれることとなる。

 それは同時に沖縄の行政権もアメリカ統治となることを意味し、車は右側通行、通貨もドル、本土への行き来にはパスポートが必要となった。

沖縄県公文書館所蔵資料より

 もちろん時の郵便事情にしても同じ事で、日本本土との物流は国際郵送という位置付けとなる。

 そのため、切手一つをとっても日本国とは違い、またアメリカとも違う沖縄独特の切手が使用されることになるのであった(米軍政下の米国民政府という特殊体制のため)。

 この切手こそが「琉球切手」、「沖縄切手」と呼ばれ、大まかに定義をすると、戦後1945年から日本復帰の1972年までに発行された切手なのである。

暫定切手〜琉球切手

 上で述べた「大まかに」という定義は、戦後間もない1948年まで沖縄独自の切手発行に至れるまでの状況ではなかったために、戦前からの未使用切手や本土の切手を取り寄せ、それらに郵便局長の印鑑を押した暫定切手という切手が使われていたことによる。

 本土と同じ内容の切手であっても、これらはあくまでも日本の切手とは別物という印であり、大義ではこの暫定切手も「琉球切手」という扱いとなっているのだ。

 そういう背景もあり、実質的に「沖縄独自」の琉球切手が発行されたのは1948年から1972年までとなり、全259種の琉球切手が発行されたといわれている。

 絵柄も様々で、沖縄独特の植物や伝統芸能、工芸品、首里城や守礼門、沖縄の記念行事などが鮮やかな色彩で描かれ、それぞれに「RYUKYUS」、または「琉球郵便」と印字されている。

 例えば「琉球大学開校記念切手」を見てみると、戦後首里城跡に開校した琉球大学を校舎をバックに、首里城のシルエットが描かれるというとてもカッコいいデザインだ!

 また、中には「航空切手」と呼ばれるAIR MAIL用の割高切手もあり、当時は空輸便の方が少なく希少だったという時代背景が読めることも興味深い。

 切手それぞれに表記されている金額も、時の移り変わりと共に銭表記、円表記、ドル表記となっており、まさにその時代時代を映し出すアイテムとなっているのだ。

切手コレクター間で人気アイテム

 切手コレクターの間では、琉球切手は「デッド・カントリー」というジャンルに属するようで、直訳をすると「死んだ国」という意味なのだが、「すでに存在しない国、消滅・解体された国」という意味合いで、なかなか貴重なジャンルに位置するようなのだ。

 しかし、実を言うと現在でも割と市場に多く出回っている。確かにアメリカ統治下の25〜26年もの間、日常生活の中で流通していたことを考えると、それなりの流通量があったわけだ。しかも、手紙やハガキなどは、思い出として大事に取っておく傾向もある。

 さらに言えば、本土復帰というのはまだたった40数年前の話なわけで、大袈裟でもなく、ごく最近まで琉球切手は実際に使われていたとも言える。私生活で普通に使っていたよ、という方も多々おられるはずなのである。

 そういう部分から言っても、まだまだ手に入りやすいコレクターズアイテムではあるのだ。現在の市場価格も1枚数十円という手頃なものから数万円ものまでピンキリ。それこそ259種類もあるのだから。

レア切手の中には1円が6万円になるものも!

 琉球切手の中でもレア中のレアなのが、1948年 第1次普通切手初版の1円切手、農夫が描かれた切手である。これがまさかの6万くらいで取引をされている。1円が6万円だ!

 他にも1枚数千円など結構な値が付いているレア切手もあり、それらのデザインと値段の比較などをしてみるだけでも楽しい。

 本土復帰直前には、復帰後琉球切手の発行が無くなり幻の切手となる!という事で、本土からも買い占めに来るほどの社会現象にもなった。しかし、結果的に後期の切手はそこまで高騰することもなかっとのことだ。

 また、琉球切手の歴史において、デザインは済んだものの実際には発行されなかった不発行切手というものも存在する。宮古島の平良市と下地町合併記念切手は、発行直前に下地町が合併を破棄し、記念切手の発行もなくなってしまったとか。

 また切手絵柄の図にアメリカ側が納得せずに不発行になったと切手があったりであるとか、全部で3パターンあるらしい。

 また面白いことに、琉球切手に関しては未使用の切手よりも、郵送済みの郵便印が押された切手の方が価値は上がるとのことなのだ。

 そもそも印自体にも希少性があり、各市町村の景勝地が描かれたデザイン印であるとか、「RYUKYUS」という英字印や本土復帰前の期日で押印されていることにも希少性が高まる要因があるようだ。

 ただ、先ほどから伝えているように、沖縄の人間にとって琉球切手はそこまで遠いアイテムではない。もしかするとあなたの両親の家、祖父母の家には琉球切手が貼られたままのハガキや手紙、郵便物が保管されているかもしれない。

 しかし一つ注意して欲しい。手紙やハガキというのは、何かしらの思い入れがあって保管しているはずなので、それらを無理やりもらってきて売るような行為はやめましょうね。

沖縄郵政資料センター

 ここまでの内容を読んで、少しでも沖縄の郵便事情、郵便の歴史に興味を持ってもらえていると嬉しい限りだ。

 さらにもっと知りたいという方にぜひおすすめなのが「沖縄郵政資料センター」。沖縄の郵便ヒストリーに関する資料館なのだが、実は那覇の中央郵便局2階に存在している。

 遥か昔、琉球王朝時代の通信手段であった狼煙の上げ方、情報の伝え方などの説明。各間切から間切までの情報伝達経路が紹介されていたり、戦後、米軍の廃棄ガスボンベを利用して作った当時のポストなども展示されていたりもする。

 そして何より、発行された全てとまではいかないものの、ほぼ全種類の琉球切手の現物を目にすることができるのだ。

 この先、実家であったり祖父母宅を大掃除することあれば、ぜひ今回の「琉球切手」のことも少し頭に入れて掃除をしてみよう。楽しい意外な発見があるかもしれない。


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