首里城は誰にとってのシンボルなのか 再建を考える(上)
- 2021/1/4
- 社会
「負の歴史」踏まえた議論を
―首里城再建のあり方、議論の進め方については、先島への視線の重要性に言及する意見も出てきていますが、それについては。
「何年か前に宮古に行ったときに、『本島の人が“琉球”とか“沖縄”って言う時の中に宮古は入ってるの』という人に会ったことがある。年配の人には『首里城には絶対行かん』という人もいた。こうしたことも含めて、宮古や八重山、奄美の方からは首里・那覇を中心にした『沖縄』というくくりが語られることに対して、すごく複雑な思いがある。
先島が抑圧されてきた歴史は事実としてある。いろんなメディアでも触れられたりすることはあるが、観光の沖縄、沖縄の主体性回復という文脈で議論される時、語りが一面的になってしまう危険性がある。沖縄本島以外の、特に首里・那覇から抑圧されてきたり、そこを中心に語られてきたりする枠組み自体に違和感や疎外感を感じる人はいる。それは無視できないし、すべきではない。
『負の歴史』というか、そういった側面を度外視してはあまり手放しに首里城再建ということは言えない。だからと言って、再建の議論の中に先島の人たちの複雑な思いを単純化して取り込み、それをして一致団結と美化してしまうことにも気をつけなければいけない。
首里城再建というタイミングで、沖縄の主体性がメディアを通して語られていくことには大きな意義があると思うが、急ぎすぎるのは良くない。常に批判する余地を作っていかないと危険な方向にいってしまうので、再建は急がないのがいいし、むしろ延々と議論を続けていくような姿勢でもいいと思う」
―再建にあたって、どのような施設にしていくのが望ましいですか。
「首里城は戦時中には日本軍の司令部にもなったし、正殿は『沖縄神社』に“書き換え”られたり、今議論されている大龍柱が日本兵によってへし折られたり向きを変えられたりもした。その意味では屈辱の歴史も積み重なっていて、城という権力の象徴であるがゆえに、それはさらに上位の権力に回収されてしまう側面も事実としてあった。
分かりやすいストーリーだけで観光施設化していくのではなく、負の歴史も権力の二重構造もひっくるめて見えてくる首里城でもいいと思う。それで初めて先島などの周辺のことも浮かび上がるし、語り継がれていくことにつながる。
また、首里城が首里の地元の人たちにとっての“居場所”になっていたのかな、という疑問も少しある。ライトアップされる首里城を遠目に見る安心感みたいなものはあり、心のよりどころという機能は果たしていたのかもしれないが、入場料が発生したりするとやはり身近じゃなくなってしまう。
かつては琉球大学があったし、正殿が学校として使われていたこともある。生活の中に馴染む形で、地元の人がもっと自由に気軽にアクセスできる場所として再建を議論することも考えていいと思う」