本村ツルさん告別式 元ひめゆり資料館館長「かけがえない存在」

 
本村ツルさんの死を悼み祭壇に焼香する参列者=10日、沖縄県浦添市

 ひめゆり平和祈念資料館元館長の本村ツルさんが7日午前、老衰のため西原町の自宅で死去した。享年満97歳。告別式は10日、浦添市の斎場でしめやかに営まれ、親交のあった同窓生や教員時代の教え子、同祈念資料館関係者ら約400人が参列して、本村さんの死を悼み祭壇に焼香した。同館の普天間朝佳館長(63)は、「大きくて、かけがえのない存在だった」と悲しんだ。

 1945年の沖縄戦当時、本村さんは看護要員として南風原の「沖縄陸軍病院」に「ひめゆり学徒隊」(県立第一高女・沖縄師範学校女子部)として動員された。

 激しい戦禍で多くの仲間を失いながら、旧第32軍(牛島満中将)が糸満に撤退後も、同年6月18日に解散命令が出されるまで、糸満の「大田壕」で負傷者の看護助手や引率教師とともに各病院壕の連絡係を務めた。

 同学徒隊は動員数240人(生徒・教師を含む)。このうち、136人が動員で戦没した。戦後、教員として勤めた本村さんは退職後、同祈念資料館の建設開館に奔走した。

 平和教育の推進や、次世代の育成などにも尽力し、同館館長(歴代最長8年)、同祈念財団理事長を歴任。理事長職を退任後も、生存者の「語り部」として同館で来館者の説明に当たった。その功績が高く認められ、2012年に「県功労者表彰」を受けた。

 本村さんについて、同祈念財団の仲程昌徳理事長(79)は、「大きな柱を失ったが、若い人たちに引き継いでいくという本村さんの考えていた形で、現在の館は運営されている。自分たちが語るのは、そんなに長くはないと、若い人たちの養成プロジェクトを立ち上げたのも本村さんだった」と述べ故人を悼んだ。

 参列者には、沖縄師範学校卒業式の2日前に学徒動員された本村さんをしのび、平和教育推進に寄与した故人を慕う人の姿もあった。

(記事・写真 宮古毎日新聞)

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