沖縄電力コーチ大城直也さん(下) 沖縄野球人伝説②

 

 大学時代お世話になった九州に立ち寄った後、沖縄に戻った。ちょうどその頃、兄が沖縄電力の監督候補にあがっているという話を聞いた。当時の沖縄電力野球部は、即結果を出さないと廃部という危機に面していた。兄から「プレーヤーというよりも、お前の経験を伝えてほしい」と声を掛けられた。

 ただし条件があった。「2ヶ月で10キロ落とすことができたら。」と。野球をやめてからというもの、飲み歩いていた大城直也の身体は大きく膨らんでいた。「もしかして、もう一度野球ができるかもしれない」。

 失った目標が再び立ち上がると、身体がうずいた。毎朝走り、昼にはジムで鍛え、夜も走った。食事にも気を遣い浴びるように飲んでいたお酒も控えた。2ヶ月で8キロ落とし野球ができる身体に戻して、沖縄電力に「選手」として入部。27歳の秋だった。

数年前までドラフト当日はドキドキ

 今、沖縄電力野球部の選手として5年、兼任コーチの時期を含めコーチとして9年がたつ。

試合中3塁ランナーにアドバイス

 コーチになってからでも「数年前までは、まだドラフト当日はドキドキしていましたよ、『ドラフト史上初コーチでプロ入り』って想像しちゃって」と微笑んだ。コーチとして大事にしていることを聞くと、「僕は兄からの教えと練習量で野球人生が豊かになったと思う。甲子園は社会人の東京ドームや大阪ドームとは全然違う場所だった。僕が感じたその喜びをみんなに味わってもらいたい。そのために、高校時代、僕が甲子園でキャプテンとして足らなかった『言葉』を相手の目線に立って選び、伝えることを大事にしている」とのことだった。

 沖縄電力のみならず、野球少年たちにも教える機会がある。沖縄の子供たちは身体能力が高い。それなのに実力を発揮できないまま、埋没したまま野球を終えてしまう子供たちがとても多い。なぜなら、大人側に、技術がわからない、考え方、戦術、経験を伝えてくれる人が少ないから。改めてコーチとして心がけていることを聞くと「世の中は野球だけじゃない」と、意外な言葉が返ってきた。

 「何事にも一つ一つ理由がある。その理由、理論を相手がわかるように話す、伝えること。わかるまで何度でも。野球のスコアブックって1球1球書いてあるでしょ。この1球は、次のボール、打者、打席、9イニング、次の試合に繋がっていく。そこには理由がある。それって人生と同じだと思う。一時間、一日、一年、どうやって過ごしたかの時間が一生に繋がっていくと思う。野球は人生にも繋がる」。

 野球を生き方に例えてそう説明した。そして付け加えた。

 「野球がずるいのは、ファールで逃げられるところ。追い込まれたら、ファールで逃げてリセット。人生にファールってない。失敗、成功はあるけどファールみたいに打ち直し、消すってないから」。

 深い言葉だった。

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