沖縄電力コーチ大城直也さん(下) 沖縄野球人伝説②

 
試合前のシートノック

 華やかな松坂世代が誕生した1998年、沖縄最強のチームと言われながら、甲子園で1勝もできなかった沖縄水産高校野球部のキャプテンだった大城直也。現在、沖縄電力硬式野球部のコーチを務める彼のドラマチックな半生を前回に引き続き振り返る(前回はこちら。https://hubokinawa.jp/archives/2049)。

挫折、そして栽弘義監督が呼び寄せた沖縄

 1998年、沖縄水産高校野球部でキャプテンだった大城直也は、進学した九州共立大学でも1年生のうちから中心打者として活躍した。このままいけばプロ野球選手に間違いなくなれると確信していた。

 しかし、2年生の練習中にちょっとした捻挫。そこから感覚のずれが少しずつ生じたのであろう、以前のような活躍ができなくなった。卒業前のドラフトで期待をしながら待っていたが、声はかからず、シドニーオリンピックで手伝った縁から、新日本石油エネオスへ入社した。

 ここで2年頑張ればプロにいける。強い気持ちで入部した社会人野球は、自分が思っていたよりレベルが高かった。1年目の終盤にようやくレギュラーになり、2年目、さぁこれからだという時に肩がうずくように。せっかく掴みかけたチャンスを逃すものかと、痛みをかくしてプレー、誰にも相談できず、治療もできずどんどん悪化、いよいよ守れなくなってしまった。

 動けない身体に「もうプロは無理かもしれない・・・」。3年目、なんとか踏ん張ってDHの座に定着したが、4年目、選手引退の文字を突きつけられた。日本選手権が終わり、とうとうバットを置いた。

練習前に談笑

 社員として仕事を続けていたが目標を見失った心を支える物はなく、仕事終わりに飲み歩いた。家のある方向とは反対方向に乗車してしまう日々。

 「やっぱり野球がしたい。トレーナーでもなんでも野球と関わりたい」

 4年間お世話になったエネオスをやめようと考え出した時、栽弘義監督の訃報が届いた。

 「自分は沖縄の野球に育てられた。だから野球で沖縄に恩返しがしたい。沖縄に帰ろう」

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