沖縄電力コーチ・大城直也さん(上)沖縄野球人伝説②
- 2020/9/18
- エンタメ・スポーツ
そんな中、一番熱心に誘ってくれていた某強豪校の監督から「君はプロ野球選手になりたいんだろ?地元の仲間もなれるのか?」と言われ「他人と自分は目標が違うんだ」とはっと気づき、心が揺らいだ。そして、最後に家にやってきた栽弘義監督にこう言われた。「沖水は甲子園に出るための練習をしている。自信があるならウチに来い」。15歳の少年の心にとどめを刺した。「やってやろうじゃないか!!」。
栽監督に挑戦状を突きつけられ入部した沖水野球部一日目。一年生は一列に並んでグラウンドの石拾いから始まる。ところが「大城、こっちへこい!」初日からレギュラー組練習に入った。栽監督はオーラを放ち怖い存在で声を掛けることもできず、3年生は絶対的存在であり、自分の動きが悪ければ2年生がお叱りを受ける。何が何だかわからないうちに一日を終えた。それがスタートだった。そしてあっという間にレギュラーを掴んだ。
高校2年の秋には神宮大会決勝で松坂大輔擁する横浜高校と対戦。野球人生で初めて真っ直ぐど真ん中を空振りした。それでも、タイミングを早めにとったり、バットを短く持ったり、なんとか食らいついて4打席目でヒットを放った。「意地のヒット。後にも先にも、あんなキレと伸びのあるストレートとスライダーは見たことがない。」松坂大輔の投球は異次元の世界だった。
静かで気持ちがいいんです それでも勝てなかった
その経験も生かし、3年の春夏ともに甲子園に出場。「これだけの練習をしたから負けるはずがない」。沖縄大会では圧勝。しかし甲子園は別物だった。春、浦和学院戦、初めての打席で大きなバックスクリーンをみて膝が震えた。
「ここが甲子園かと思ったらブルブルと勝手に身体が動いた。投手なんて全然見えなかったですよ」
当時を振り返りそう笑った。