那覇軍港問題 松本浦添市長に聞く “北側案”受け入れの背景(上)
- 2020/9/16
- 政治
現行案受け入れの日
松本市長が呼びかけ、県庁で開かれた18日の三者面談。玉城デニー県知事、城間幹子那覇市長との面談を終え気持ちの整理を一通り付けた松本市長は「とにかくどちらに転んでも批判を浴びることは確実な中で『まずはここから』という意味でコマを進めていこうと思いました」と振り返る。それから3人は、共に県庁1階まで下りていき、記者会見の場に立った。松本市長は会見で「苦渋の決断」だったとし、「県や那覇市と足並みを揃える時期に来ている」と述べた。
面談の雰囲気自体は「玉城知事も城間市長も非常に好意的だった」(松本市長)という。「浦添市にとっては最悪な選択かもしれないけれども、県からも那覇市からも申し訳ないという姿勢を見せてもらったことがせめてもの救いでした」
昨年8月に浦添市内で行われたトークイベントでは、松本市長は次のように話していた。「軍港を受け入れる側なのは浦添市なのに、県と那覇市は自分たちの案ばかり押してきて、話し合いすらさせてもらえない。お願いする側の誠実さを感じられない」。
那覇軍港の浦添移設で現行案を推す知事の姿勢は、県政与党内でも賛否を巻き起こすこととなる。名護市辺野古への基地建設で見せる姿勢と相反してしまうからだ。松本市長は「この後の展開を考えると知事もきついだろう。心配だ」と話す。県紙・沖縄タイムスは8月20日付の社説で「玉城知事は恒久的となり得る新たな軍港と目指す沖縄振興の整合性をどう図っていくのか。辺野古は駄目で、なぜ浦添移設を認めるのかなど県政与党だけではなく、県民へ分かりやすい言葉で説明する必要がある」と求めた。
2度の公約は「破った」のか、それとも「断念」か
松本市長が「公約を破った」と批判されるのは、今回が2度目だ。
1度目は、2013年の初当選の時の公約だ。当時は「軍港の移設そのもの」に反対を掲げた。そもそもは容認の立場だったという。受け入れを容認した儀間光男前市長が3期連続の当選を果たしていたため「那覇軍港は浦添が受け入れる」で決着済みと考えたからだ。
しかし投開票日のおよそ1カ月前、当時の翁長雄志那覇市長が「浦添移設と切り離して那覇軍港の返還を訴える」と表明したことに同調し、松本氏も反対を主張することとなる。
しかしその後、県も那覇市も浦添移設の推進を表明。仲井眞弘多県知事(当時)は松本市長の初当選を受け「当初計画(現行案)通りに進めるのが望ましい」と言及し、浦添市だけが移設に反対する形となった。
松本市長は、移設の議論が決裂して西海岸開発が当初計画のまま停滞するよりは、移設を受け入れた上で西海岸開発について新たな提案をしていくという方向で、浦添ふ頭への軍港移設を「受忍」するとした。
2度目が今回となる。17年の再選時には「南側案」(浦添市案)を掲げて当選した。前述の経緯で結局、「北側案」(現行案)を受け入れることになった。
これを松本市長は「正確に言えば、2度にわたる公約の“断念”です」と強調する。
「公約違反だの、民主主義への冒涜だと批判する人がいますが、(南側案を掲げて当選した)2回目の選挙がそれこそ浦添市の民意だったのではないですか。それを実現させなかったのは誰でしょうか。2度にわたる公約違反を私に求めてきたのは誰ですか」
(つづく)
■関連リンク
那覇軍港問題 松本浦添市長に聞く “北側案”受け入れの背景(下)
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曲折の歴史 那覇軍港返還はいつ実現するのか
https://hubokinawa.jp/archives/1835