那覇軍港問題 松本浦添市長に聞く “北側案”受け入れの背景(上)

 

 しかし、転機は13年にあった。「沖縄における在日米軍施設・区域に関する統合計画」により、浦添市の西海岸をほぼ全て埋め尽くすように立地する米軍牧港補給地区(キャンプ・キンザー)が25年度以降に全面返還される見通しとなった。

 当初の軍港受け入れ表明時には想定されていなかった「キャンプ・キンザーの返還」。これを受けて、浦添市は西海岸開発について、これまでの物流中心の在り方から「人流」までを含めた「国際的なリゾート地」として打ち出す方向にシフトする。自然を生かし、埋め立て面積の最小化を図りながら、宿泊施設や商業施設を誘致する計画だ。サンエー浦添西海岸 PARCO CITYがオープンしたのも記憶に新しい。

 しかし現行案のままだと、ビーチの目の前、ちょうど夕日が沈む海岸線に軍港が来てしまう。これを港湾施設内南側にずらそうとしたのが、当初、松本市長が掲げた「浦添市案(南側案)」だ。

現行案(北側案)
浦添市案(南側案)

(引用元:浦添市HP https://www.city.urasoe.lg.jp/docs/2015051800118/

 一方で沖縄県は浦添市への那覇軍港移設について北側を埋め立てる現行案を推進する。「新基地としての機能が追加されない」「同じ港湾区域内の移動で基地の県内移設にはあたらない」「今後の県の経済発展が見込める」として、普天間飛行場の移転に伴う名護市辺野古への基地建設とは性格の違うものだという立場を取っている。

 ついに8月18日、浦添市の松本市長は現行案を受け入れ、県や那覇市との協調路線を歩む形になった。

浦添移設問題「誰も耳を傾けてこなかった」

 県民的議論になった辺野古への基地建設とは違い、浦添への軍港移設はなかなか議論のテーブルに上がってこなかった。今回の松本市長の現行案受け入れの報道を受けて、初めてこの問題について知ったという県民も少なくないはずだ。

「これまで誰も本気で耳を傾けてくれなかったではないですか。辺野古への移設に反対するオール沖縄の熱狂的な渦の中で、那覇軍港だけは知らないふりをして今日まで来たんじゃないですか。メディアも含めて誰も触らずにきたんじゃないですか?私は7年半もずっと軍港問題を訴えてきました」

力の差から「辺野古の1000倍難しい」

 松本市長によると、転機となったのは、8月4日のことだったという。この日の朝、浦添市役所市長室を訪れたのは沖縄防衛局の田中利則局長だった。

 田中局長は松本市長にこう告げた。「米軍とも調整を進めてきた結果、浦添市案(南側案)が事実上不可能となりました」。

 松本市長は語気を強めた。「地元合意ができれば北でも南でもどちらでも構わないとおっしゃったのは皆さんではありませんか」。

 田中局長は、申し訳なさそうに無言だったという。

 これにより、浦添市は窮地に立たされることとなった。県、那覇市、那覇港管理組合の側に、日本政府、米軍が回ったことで「BIG5 対 浦添市」の構図となってしまった。圧倒的少数となった今、松本市長は「辺野古と比較して那覇軍港移設阻止は1000倍難しい」と表現する。

「県がどれだけ抵抗しても、国は辺野古の埋め立てを強行するんですよ。なのに那覇軍港の浦添移設の場合は、県も国側についています。力の差で言えば、草野球チームが巨人と戦うようなものです」

 現行案を受け入れる決定的な引き金が、国と米軍の方向性が示されたことだった。

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