那覇軍港問題 松本浦添市長に聞く “北側案”受け入れの背景(上)
- 2020/9/16
- 政治
「疑問に思うことは何でも聞いてください」
浦添市の松本哲治市長は取材に開口一番、こう話した。
8月18日、米軍那覇港湾施設(那覇軍港)の那覇港浦添ふ頭への移設を巡り、自らの選挙公約を覆す形で、県や那覇市が推す、港湾内北側を埋め立てる案を受け入れた。現在は遊休化している那覇軍港を受け入れるにあたって「苦渋の選択」「公約の断念」と述べた背景には何があったのか。
「県民全てが納得するとは思わないですが、私の全ての行動や判断にはそれなりの理由があります。聞かれて困ることはありません」
そう話す松本市長に、北側案受け入れに至る思いを聞いた。全2回連載の1回目。
那覇軍港の浦添移設問題とは
まず、米軍那覇港湾施設(那覇軍港)の浦添市への移設問題の経緯について整理しよう。
那覇市を南北に分ける国場川の河口南側で、那覇空港のそばにある那覇軍港(約56ha)は、戦後に米陸軍によって整備され、1972年の日本復帰によって名称を那覇港湾施設とした。それから2年後の74年、移設を条件に全面返還をすることで日米両国が同意、2001年に浦添市の儀間光男市長(当時)が那覇港浦添ふ頭への代替施設の受け入れを表明した。
受け入れを表明したその年に、国、県、那覇市、浦添市で構成する協議会を設置。03年には港湾北側に施設を建設する、いわゆる「現行案(北側案)」で一度は合意した。