【歴代知事③】「ウチナーンチュの特色」説いた沖縄保守の”ドン” 3代目・西銘順治

 

「人づくり」を推進 県知事として基地問題で初の訪米も

「貯蓄の作文」の表彰式で子どもたちと記念撮影する西銘順治知事(前列左から2人目)ら=1978年12月(沖縄県公文書館所蔵)

 「一にも二にも人づくり」が口癖だったという西銘。それを最も象徴するのが、沖縄県立芸術大学の開学だ。沖縄の独特な文化を深く愛し、それを継承していく人材を育成。県人材育成財団も創設した。

 復帰15年目の節目となった1987年には、沖縄が全国一巡の最後の開催地となった第42回国民体育大会(海邦国体)の誘致に成功し、本番に向けスポーツ選手や指導者の育成にも成功。沖縄が男女総合優勝を果たし、西銘は「ここにようやく、沖縄の戦後が終わりを告げたと思う」「優勝は県民に強い自信を与え、成功は大きな誇りをもたらしてくれた」と感動の言葉を発した。

 一方、他の歴代知事と同様に、西銘も基地問題に頭を悩まされる。2期目に入っていた1985年、米軍がベトナム戦争で使用したB52爆撃機の相次ぐ飛来や米兵による住民殺害事件、金武町伊芸での小銃被弾事件など米軍関連の様々な事件・事故が相次いでいたことを受け、沖縄県知事として初めて訪米して基地問題を訴えた。

 6月に米国へ渡り、現地の県人会を通じてワインバーガー国防長官と直接面談することに成功。「沖縄の基地問題解決に熱心に取り組んでほしい」と要請した。西銘はこの時、米軍普天間飛行場の返還やキャンプ・シュワブの県外移設なども求めた。

 続いて会談したアーミテージ国防次官補にも沖縄の苦しみをこう伝えた。「安保条約の趣旨を最大限に尊重し、日米間の友好と信頼関係を堅持しながら基地行政を推進している。ところが、基地の存在は産業の振興、都市の形成など振興開発に大きな支障をきたしている。また基地に起因して種々の基地被害なども発生しており、県民生活に多大な影響を及ぼしている」

訪米がのちのウチナーンチュ大会に

 この訪米では、アトランタとハワイで県出身者やその子孫とも交流を深めた。ハワイでは姉妹提携調印式が開かれ、ハワイ移民百年祭にも出席。式典後、現地の人たちの歓迎に深く感動した西銘は県人会の幹部に伝えた。「ウチナーンチュはみなチバトーンドー(頑張っている)。一度全員集合したいな」

 ここで得た着想が、海外から約2千人が参加して開かれた1990年8月の「第1回世界のウチナーンチュ大会」開催に繋がっていく。大会は現在に至るまで世界のウチナーンチュネットワークを繋ぎ、2017年の第6回大会では5日間で429,168人もの人が来場。27カ国から史上最多の7,353人が来沖した。今年10月31日〜11月3日には第7回大会が開かれる予定だ。

保革超え、愛された政治家

 1990年11月の県知事選では4選を目指して出馬したが、330,982票を獲得した元琉球大学教授の大田昌秀に30,065票差を付けられて落選。3期12年続いた西銘の保守県政は幕を閉じた。敗戦が決まった直後、一言敗戦の弁を述べる。「長かったということか」

 1993年の衆議院選挙で当選し、15年ぶりに国会に返り咲いた西銘。2代目知事の平良幸市も必要性を説いていた、軍用地返還と円滑な跡地利用を促す「県駐留軍用地返還特別措置法(軍転法)」の成立に力を注いでいたが、95年3月に脳梗塞で倒れ入院、政界を引退した。

 その後は自宅や病院で療養生活を続けた。2001年7月の参院選で初めて国政選挙で当選した順志郎さんは「当時は自宅にいたけど、もう難しい状態だった。当選して『東京に行ってきますよ』って言って握手したら、手を握り返しはしたけどね」と振り返る。

 それから約4カ月後の2001年11月10日、80歳で逝去した。優れた政治手腕と強いウチナー愛を備え、保革問わず多くの人々を魅了した沖縄戦後政治の重鎮、西銘。ハード面、ソフト面ともに様々な分野で沖縄の発展に貢献した。

 今の沖縄を西銘が見たら、どう感じるだろうか。そんな空想に、順志郎さんはこう答えた。

 「きっと『保守でも革新でも、沖縄のためにみんな頑張れ。どっちかが主役だったら、どっちかがフォローしてあげればいいじゃないか』っていう言い方をするかもしれないな。本当に人脈の広い人だったから」

★参考書籍「西銘順治日記 戦後政治を生きて」(編集・琉球新報社)

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長嶺 真輝

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ながみね・まき。沖縄拠点のスポーツライター、フリーランス記者。
2022年3月まで沖縄地元紙で10年間、新聞記者を経験。
Bリーグ琉球ゴールデンキングスや東京五輪を担当。金融や農林水産、市町村の地域話題も取材。

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