【慰霊の日】島に咲く“うむい”を未来に手渡す Rude-αが楽曲に込めた祈り

 

直接話を聞ける最後の世代として

 直接声を発する語り手がいなくなってしまうことへの危機感と、沖縄戦を沖縄の歴史として伝え、語り継いでいくことへの意志は、「うむい」のMVでも映像としてストレートに表現されている。

 MVではRude-αの記憶を彷彿とさせるストーリーの映像の中に、沖縄戦や当時の記録映像も盛り込まれていて、最後は画面に「おじぃおばぁの声で歴史の話を聞けなくなってしまう日はいつかやってくる」という直筆のメッセージが浮かび上がる。

「僕らの世代はまだ学校教育の中で戦争体験者の話を聞く機会はあったけど、これから生まれてくる子たちの代になった時に、果たして同じように聞くことができるのかといったら難しい。体験者たちはどんどん旅立っているのが現状ですよね。自分のひいおばあちゃんも去年10月に102歳で亡くなったんですよ。あまり戦争の話も聞けなかった。
 それもあって、今ある沖縄の自然や人の優しさ、そしてその裏にある痛みや米軍基地問題とかを、ちゃんと僕らが語り継いでいく存在にならないといけないと思ったんです。直接話を聞ける最後の世代である僕らが。ちゃんとつないでいかなきゃ、って」

平和の礎

即興で口ずさんだ1行のフレーズ

 「うむい」が楽曲として出来上がったのは、昨年のこと。普段はあまり落ち込むことはないというRude-αだが、2021年はコロナ禍の影響や自身のキャリアについて思うところがあり、「これまでの人生で1番辛い1年」と言うほど精神的に参ってしまっていたという。

 そんな中、「うむい」の作曲者にもクレジットされている先輩の“しんごにぃにぃ”とバーベキューをしていた時、不意にきっかけが訪れた。

「しんごにぃにぃがギターを弾きながら『即興で何か歌って』と言われてとっさに歌ってみた時、1発目に出てきたのが『島の空を飛び交う戦闘機』だったんですよ。メロディと歌詞が同時にきて、曲になりそうだという確信があって、そのまま歌詞を書き始めたんです」

 歌詞で描かれたものは「全てが今までの自分の目で見てきたものだし、経験したこと」。曲の歌い出しにある「暑い夏にうさげた/手のひらと線香の匂い」という情景も、小さい頃に祖母に連れられて平和祈念公園に一緒に行った思い出を基にしている。

「この曲が“書かされた”という感覚なのは、ばあちゃんがいたからだし、家族がいたからだし、友達がいたからだし、米軍基地があったからだし、色んな人が色んな経験をさせてくれたからだと思います」

 屈託のない表情でそう語る。楽曲制作の発端となった「島の空を飛び交う戦闘機」という1行は今のRude-αの感覚が捉えた“今の沖縄”の現実を象徴するものなのだろう。

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