沖縄インディーズブームを語るトークライブ「90年代後半~2000年代沖縄音楽シーンの証言」イベントレポ 那覇市Output

 

沖縄独自の商業的背景もブームを後押し

県内外数多くのインディーズバンドがステージに立ったヒューマンステージ(同HPより。現在は閉店)

 沖縄県内でインディーズミュージシャンがCDを出し、ライブを続けていられたのは、沖縄独自で発展していたCD流通網の後押しがあった。それが、県内で生まれたCDの卸しや流通を一手に担う「沖縄レコード商事」だ。

東風平「県内のインディーズを扱っていて、どんなショップにも流通させることができ、営業機能も持っています。本土復帰前に小売店が共同出資で設立した卸商で、これは全国にも例を見ない形です。

 アーティストはCDが出来たら‘レコ商’に持って行って、そこからCDショップはもちろん、書店やおみやげ屋さんにまで置いてくれる。県外では手売りが基本だけど、沖縄ではこの仕組みのおかげで店頭への流通ができた」

當山「自分たちで当時やっていたレーベルでも、レコ商の方と一緒に県内の小売や放送局に出向いて営業活動していましたね。ノウハウになりました」

 さらに加速していった沖縄インディーズシーン。その勢いが全国にも轟くようになるのと同時に、ミュージックビジネスと切り離せなくなるまでに拡大していく。

 エフエム沖縄のディレクターでありながら、県内ミュージシャンの著作権管理の必要性を感じ、音楽レーベル『ファンミュージック』を立ち上げた東風平氏は当時のミュージックシーンを商業的な観点から以下のように語った。

東風平「メジャーレーベルの関係者が、僕のところにコンタクトを取りに来ることも何度もあった。中央のアーティストがメジャーデビューに先駆け、沖縄でヒットした実績を作り、(逆輸入的に)プロモーションしたいという現象も起こりました。それくらい沖縄で活動することが付加価値になっていきました」

 エネルギーに溢れるミュージシャン、そしてそれを支える沖縄の音楽・メディア業界の土壌。しかし、このムーブメントが商業的に注目を集める一方で、こんな弊害が無いこともなかった。

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