沖縄インディーズブームを語るトークライブ「90年代後半~2000年代沖縄音楽シーンの証言」イベントレポ 那覇市Output

 

 MONGOL800の300万枚超セールス、HYのインディーズ3作連続オリコン1位、オレンジレンジの紅白歌合戦沖縄中継。日本の音楽史に確かに刻まれるであろう、2000年前後に起こった沖縄インディーズバンドブームの一角だ。

 当時の沖縄インディーズシーンには何が起きていたのか。バンドマンやライブハウスオーナー、メディア関係者ら、時代の目撃者たちによるトークライブ「90年代後半~2000年代沖縄音楽シーンの証言」がこのほど、那覇市のライブハウスOutputで開催された。当ライブハウスの10周年企画の一環で行われたこのイベント。今だから聞ける濃厚な話題に場内は湧いた。

 出演者は以下の通り(敬称略)

 下條スープレックスホールド(地獄車)、K-9 (illuminati / 元SAKADACHI / 元月刊hands編集者)、當山貴史(Shaolong To The Sky)、東風平朝成(FM沖縄)、山田義和(ライブハウス・ヒューマンステージ)、司会:西向幸三(FM沖縄)

ブームの前夜とエポックメイキング

 1990年代後半以降、バンド「Anger From Ball」で活動していた當山貴史氏は「その時には『沖縄インディーズブーム』なんて言葉はなかった」と振り返る。ただ、週末になるとどこかしらのバーやクラブでライブがあり、音楽のジャンルを飛び越えてさまざまなミュージシャンが表現を重ねていた。シーンは確かに育っていた。

東風平朝成氏(以下、東風平)「シーン自体がアンダーグラウンドだったので、まだメディア側に情報も来ていなかった。噴火前のマグマの時期だよね」

當山「わりと好き勝手やらせてもらっていましたね。当時はどうやって県外のバンドを自分たちのイベントに呼べばいいのかも分からなかったから、とにかく自分で東京の音楽事務所に電話してブッキングしていました。すると、その動きがイベンターや音楽関係者から注目されるようになってて」

 ライブハウスから火が付いた地元の音楽シーンは、やがてCDショップにも変化をもたらすようになった。

東風平「当時のタワーレコード那覇店の店長が『地獄車って知ってる?MD音源仕入れたらすぐに売れきれちゃうんだよ』って言ってた」

─転換点となるような出来事は?

 東風平氏は、インディーズブームの発火点として、県内外からインディーズアーティストを中心に出演した音楽イベント「タワーリング・インフェルノ」の開催を挙げる。

東風平「『タワーリングインフェルノ』の帰りに下條くんに声を掛けて、ラジオ番組でシーンを紹介するコーナーをやってもらった。これがきっかけで、県内のアーティストが局に音源を持って来てくれるようになりました」

K-9氏(以下、カク)「みんな『告知の時にはエフエム沖縄に!』って言っていましたね。それでいろんな曲がラジオで掛かって」

 当時はインターネットも今ほど十分に発達していなく、スマホが発明される前だ。いつどこで、どんなバンドがライブをするのか。音楽シーンに敏感な若者たちは、情報に飢えていた。そこで大きな役目を果たした一つが、街のアパレルショップの存在だった。

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