離島の球児たちへのエール コロナ禍での応援
- 2020/7/19
- エンタメ・スポーツ
球音と選手たちの声だけが響くグラウンド。甲子園の夢は絶たれたとしても、高校最後の試合に全力を注ぎ、3年生の球児たちが躍動する。新型コロナウイルス感染症予防の為に、許された応援観戦は3年生の保護者、関係者のみ。異様な光景が繰り広げられている2020年夏の一コマだ。
いつもなら吹奏楽部や応援団が駆けつけ、大きな声援で賑やかになるスタンドも、今回ばかりは声もあげられない。ましてや離島の高校は、コロナ禍でより経済的に厳しくなり、応援の人数もいつもより少ない。
7月4日、開幕したばかりの高校野球沖縄県大会の会場となったコザしんきんスタジアムで取材した。
「楽器、メガホン禁止」それでも応援したい
スタンドで応援していた、石垣島・八重山農林高校の3年生選手の父親であり、野球部父母会会長の砂川隆治さん(52)に話をきいた。
「大会が全てなくなると聞いた時は、息子に声をかけられなかった。自粛期間中は自主トレといってもモチベーションが上がらないしね」
しばらく無言の日々が続いたという。そして、地方大会が決定したときには家族全員で喜んだ。
「甲子園はなくても、一戦一戦上を目指そうと。できる限り応援してあげたいと思った」。
砂川さんはそう顔を緩めた。
沖縄大会開催となったものの、はてさて応援はどうなるのか?八重山農林の場合は、試合開催の2週間前に父母会が集合、学校側から野球連盟の説明を聞いた。
「3年生の保護者だけ観戦可能」「大声を出してはいけない」「楽器、メガホン禁止」。
厳しい条件が立ちはだかった。一体どのような応援ができるのか、父母会みんなで話し合った。出た結論は「声」ではなく、「文字」で応援、勝っても負けても最後まで大きな拍手を送ろう、だった。スタンドに、親御さんたちの心のこもった文字が並んだ。
「顔晴れ」って伝えたい
スタンドで目に飛び込んできたボードは「顔晴れ」。持っていたのは大浜圭人選手の母親だ。その由来をこう教えてくれた。
「これは高校生の主張(弁論)大会をみていて知った言葉なんです。発表していた生徒さんは、東日本大震災で被災した人たちに頑張れっていっても、どうしようもない。これ以上頑張れないんだから。それなら笑顔で過ごせるように`顔晴れ‘って伝えたいって。私もその通りだと共感した。それ以降、息子の応援は笑顔でプレーできるようにと`顔晴れ’って書いて応援しています」
試合は4−0で具志川に勝利。「思わず声がでちゃいました」と笑顔がはじけた。
母の分も応援
宮古島・宮古工業と宮古総実高校は選手不足のために連合チームで参加。本来なら異なる学校でプレーする双子の息子たちも、合同チームで参加した。保護者の応援はたった16人。双子の父・佐久間忠典さん(47)は地方大会開催に関し、「何もしないで終わるより、やって終わりたいよね」と話す。兄弟で「やるしかないんじゃない?って話していましたよ」。とスッキリした表情だった。
そんな中、遺影をもって観戦していた家族がいた。この日、先発マウンドを任された砂川理寿選手の父・祐也さん(44)と姉の良夢さん(20)だ。いつも両親そろって息子の応援をしていた母親が、今年2月に他界した。
「息子は母親に似ている」と裕也さん。理寿選手は「幼稚園から野球を始めて、送り迎えやお弁当をつくってくれていた。母の支えがあったからここまで来られた。いつも笑っていて我慢強く、責任感のある母でした。ありがとうと伝えたい」
そう気丈に話した。一回戦敗退が決まっても、「`頑張ったね‘と言ってくれると思う」と胸を張った。
試合後、連合チームの大嶺真監督は声を詰まらせながら、選手たちにこう話しかけた。
「たくさんの方々に支えられて大会ができたことに対し、選手自ら感謝していると口にしていたことを誇りに思う。今後このような困難なことが起こったとき、今度は自分たちが支える立場になれるよう願っている。高校野球が終わっても、より大きな人間になっていってほしい」
2020年、まさかのコロナ禍で何もかもが規制され、変化し、それでも対応していかなければならない世の中になった。しかし、大切なものが何か、より見えるようになっているのも確かである。純粋な離島の子供たちに心からの「顔晴れ」を贈りたい。