沖縄インディーズブームを語るトークライブ「90年代後半~2000年代沖縄音楽シーンの証言」イベントレポ 那覇市Output

 

東風平「当時、高校生バンドマンの中には『高2までにスカウトされなかったらバンド辞めます』って言う子もいました。早い段階で業界の大人たちが青田買いに動いた結果、大切な若い才能が育たないという現象が出てきたんですよね」

カク「注目されるごとに、変な大人の事情が多くなっていきましたよね。下手に声を掛けられることで潰されていくバンドもたくさんありました」

「若い世代もインディペンデント精神を持って続けよう」

─今の若いバンドに伝えたいことはありますか?

當山「『レーベルとの契約とか気にしないで自分たち主導でやりまくれ!』って思います」

東風平「ただ、マネタイズの問題はありますよね。昔から『沖縄はプレイヤーが1000人いるのにプロデューサーは1-2名しかいない』って言われています」

カク「僕は逆にそこが素晴らしいとも思っていて。音楽はカネじゃないから、ミュージシャンはビジネスではなく真っ直ぐに音楽だけを考え続けて欲しい

東風平「もちろん音楽ありきです。ただ、困ったことに巻き込まれないために、ミュージシャンをサポートできる‘良き大人’がいる必要は感じています」

山田「えーと、それとなんですが、音楽番組もうちょっと増えせません…か?」

西向・東風平「すいません!」

一同「(笑)」

山田「沖縄だけで音楽番組が作れるんじゃないかって思うし、そこから広がってほしい」

 最後に、ブーム前夜から現在まで活躍を続ける、Shaolong To The Skyの當山貴史さんが、それこそ自身の経験を道標として伝えるように、ロックな叫びを客席に向かって置いて行った。

當山「今ここに来ているお客さんの中にはミュージシャンも多いと思う。もっと楽曲を放送局に飛び込みでも持って行くべき。シーンを盛り上げていこう!それと、メジャーに行けないからって音楽を辞めるのは無しにしてほしい。自分で音源を作って、いくらでもリリースできる時代。他の仕事で生活基盤を整えながらでも、音楽が好きならインディペンデント精神を持ってやり続けて欲しい

 ネットが普及していない当時、限られた情報の中でミュージシャンを知りたいという枯渇感を生み、人々はライブハウスに足を運び、口コミからの局地的なブームが全国に広がった。結果として、そういった外因的な時代背景はあれど、ムーブメントを起こしたのは間違いなくカルチャーの渦の中に居た当事者達だった。

 決して打算ではない、純粋に音楽を楽しむといったマインドが熱狂を生み、20年経った今でもオーディエンスの青春としてこびり付いている。

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