琉球史が変わる!? 謎多き「大里」の歴史を追う

 
中城グスク、勝連グスクまでも一望できる「大里グスク」

 南城市大里が2004年以前は「大里村」であったことは現在の若い人でも知っているだろう。ただ、大里と言えば何をイメージするかと問われると、もしかしたらすぐに特徴を思い浮かべることは難しいかもしれない。
 しかし筆者としては、大里にはものすごく奥が深い琉球の歴史が詰まっているのではないかと推測している。その不思議な大里のストーリーを皆さんにお届けしたい。

南山を代表するグスク

 旧大里村は王朝時代、島尻方に位置する「大里間切」という1つの行政区であった。現与那原町は元々大里間切の一部で、1949年に分離している。字大里には大里城跡公園があり、公園を訪れたことがある人なら城跡の規模や見晴らしの良さから、昔はそこに立派なグスクがあったと想像できると思う。

 琉球史が好きな人であれば、三山時代の南山重要拠点としての「島添大里グスク」を知っているだろう。未だ築城主が誰なのか分かっていない謎多きグスクでもある。隣接している地下深くまで降りていく湧き水「チチンガー」も見所だ。
 グスクの眼下には佐敷があり、両側を山に囲まれた得意稀な湾「馬天」を利用し力をつけた佐敷の小按司「尚巴志」も、この大里グスクに一時居城したと伝えられている。

大和との繋がり

 大里には大和と繋がりのある伝承が多い。琉球王国の正史「中山世鑑」によると、1156年の保元の乱で伊豆大島に流刑された源為朝が琉球の今帰仁運天に流れ着き、娶った相手が「大里按司の妹」であった。二人の間にできた子が琉球史の記録に残されている最初の王「舜天王」であったという。

 想像の域を出ないが、壇ノ浦の戦いに敗れた平氏の残党および安徳天皇の一団が南方に逃げ伸び、琉球に組み入ってきたのではないかという「南走平家説」も根強く語られている。筆者としてもその説には一理あると考えており、例えば安徳天皇が舜天だった可能性はないだろうかと想像したりもする。

 安徳天皇一団が運天に辿り着き、一部の兵士によって今帰仁城を築城しつつ、天皇一行は大和から最も遠い南端の恵まれた高台に仮御所を建てた。それが大里だったのではないか。

この地名に関連した興味深い史実が九州にある。

 北九州市門司に、同じく「大里」と書いて「だいり」と読む地名がある。門司区によると、門司の「大里」は源平合戦によって都を追われた安徳天皇と平氏一族が一時的にその地に滞在し、仮の「御所」を建てたことから「内裏」と名付けられ、後に「大里」となったという。現在も御所神社が祀られている。

 門司の大里と琉球の大里、双方に共通する歴史がある気がしてならない。

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