琉球史が変わる!? 謎多き「大里」の歴史を追う

 
大里を中心と見たら、方角の付く地名がピッタリと合う

大里から見え出した地名の合致

 少し視野を広げて、大里の周辺も見てみよう。

 王国時代、大里間切に隣接していた間切は佐敷、玉城、東風平、南風原、西原だ(与那原は近世になり大里から分離した)。ここで何か気付くことはないだろうか?

 大里の周りに「東西南」と方角の付く地名が並んでいる。しかも大里を中心として見てみた場合、大里の右側・東方に「東風平」、左側・西方に「西原」、そして下側・南方に「南風原」が位置しているではないか。

 沖縄では北のことを「ニシ」と読むとされることから、首里の北側に位置するので「西原」、南に位置するから「南風原」だと言われる。しかしその説だと東風平はどう説明するのか、と以前から腑に落ちなかった。

 もしも大里を中心とした地名付けであったとすれば、3方とも合点がいく。そして一つだけ方角の文字が欠けている「北」向けに目線を伸ばしてみると、そこには琉球国最高聖地「斎場御嶽」があり、そのさらなる先の神の島「久高島」に行き着くのだ。

 また、第一尚氏最後の国王「尚徳王」と恋仲になり、第一尚氏の滅亡と共に悲劇の最後を迎えた久高島の祝女(ノロ)クニチャサは、「大里家」なのである。果たしてこれは単なる偶然なのだろうか。もしかすると大里はとてつもなく深い歴史を秘めたエリアなのかもしれない。

 今回紹介したエピソードは憶測の部分も多いが、壮大な琉球ロマンのストーリーとして受け取ってもらい、琉球の歴史に興味を持つきっかけになれば何よりである。

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