海に浮かぶ小島だった「奥武山」湧き水とマジムン伝説が物語る歴史
- 2021/8/28
- 社会
奥武山と言えば、広く県民に親しまれている運動公園、もしくは護国神社や沖宮のある参拝祈願の地というイメージがあるかと思う。
この場所は、戦前までは海に浮かぶ離れ小島だった。現在でも那覇方面から奥武山公園へ入る際には、明治橋や那覇大橋を渡る必要があるので、なんとなく海や川に囲まれている感覚はある。しかし、小禄方面から向かう際には全くの陸続きになるため、かつてはそこに海が広がっていたことは想像し難い。セルラースタジアムやサブグラウンド、弓道場、そして鏡原町一帯まで元々は海で、奥武山から対岸の垣花まではもう一本の橋「南明治橋」が架かっていたのだ。
今回は、奥武山の周辺からその名残をいくつか紹介しよう。
いまだ途絶えることのない湧き水
奥武山の周り一帯が海峡だったことを示す分かりやすい名残の一つが「落平(ウティンダ)」と呼ばれる垣花側の海崖から湧き出ていた湧き水だ。
今でもセルラースタジアムから県道7号線を挟んだ向かい側には、一角だけ不思議とこんもりした山のような場所があり、岩壁から水がチョロチョロと湧き出ている。昔ほどの水量ではないようだが、まだ途切れず湧き続けていることに感動する。そしてこの岩崖こそ、昔はここが海だったということをしっかりと伝えてくれているのだ。
当時、垣花の対岸にあった那覇は浮島という離れ島で、沖縄一の大商業エリアだった。しかし立地もあり、那覇の湧き水は塩気が多く飲むには適さなかった。そこで商人たちは垣花の落平に船を接岸させ樽に大量の水を汲み、それを那覇まで売りに行った。