那覇空港・那覇軍港はかつて巨大な「NAHA AIR BASE」だった
- 2021/8/23
- 社会
第二次大戦後から1970年代にかけて、那覇市小禄には「NAHA AIR BASE」という巨大な米軍基地があった。
戦前、日本軍によって作られた海軍小禄飛行場がその原型である。1972年に沖縄が本土復帰を果たした後、NAHA AIR BASE の滑走路機能を含む跡地一部が日本政府運輸省所管の那覇空港となり、大部分は日本の航空自衛隊那覇基地、陸上自衛隊那覇駐屯地へと引き継がれた。
このような流れで、那覇空港は現在でも軍民両用空港となっている。港湾部分は引き続き「那覇軍港(ナハミリタリーポート)」として残り、今も米軍の管轄地である。また、一部地元に返還された土地では大規模な区画整理事業が行われ、金城地区を中心に住宅街の整備が進み、大型団地や今のイオン那覇などが建設された。
どれほど大きかったのか?
NAHA AIR BASE がどれほどの大きさだったのか、返還された土地を元に紐解いてみよう。
当時 NAHA AIR BASEだった土地の7〜8割は、現在も那覇空港、那覇軍港、自衛隊基地として運用されている。残りの約2〜3割、主にミリタリーハウジングとして使用されていたエリアが返還され、小禄の新しい街となった。イオン那覇やモノレールの小禄駅、赤嶺駅。産業支援センターや那覇西高校などがある一帯だ。
このエリアには、ベース時代の名残を見て取れる興味深い箇所がいくつかある。