“離れ島・那覇”の面影が残る場所「若狭」と「辻」

 
1945年の若狭エリア(国土地理院写真)

 那覇市若狭は、海浜公園やクルーズ船バース、波上宮、波の上ビーチなどがあり、海岸沿いの街をイメージする人も多いだろう。

 泊大橋の下に広がる若狭海岸エリアは、今でこそ綺麗に整備された景観となっているが、戦後すぐの頃は砂浜や浅瀬が広がり、「上の毛」と呼ばれるゴツゴツした高さ20mほどの岩礁台地も横たわっていたという。

 その岩礁の突端には、波の浸食によって下部を削られた崖岩「ユーチヌサチ」が迫り出し、御拝所として崇められていた。しかし、戦後那覇の区画整理事業によって岩礁は大幅に削り取られた。ユーチヌサチもダイナマイトで爆破されたが、僅かながら岩の一部が残されており、今日も御拝所として地元の人々から大切にされている。

若狭小学校手前の広場にひっそりと残っているユーチヌサチ

 岩礁台地の跡地には若狭小学校が建ち、掘削された大量の岩は近隣海域の埋め立て工事に利用された。その規模は現在の若狭三丁目、前島三丁目一帯というのだから驚きだ。このエリアは戦後に埋め立てられた。
 同じ時期から急激に那覇近海の陸地化が進み、もともとは“離れ島”だった那覇の姿は消え去っていったのだろう。

海に浮かぶ「夫婦瀬公園」

 埋め立て前、もとは海だったということが分かりやすい場所がある。若狭三丁目の海に浮かぶ「夫婦瀬(みーとぅじ)公園」だ。園内には不思議な形の巨大岩がいくつも鎮座しており、御拝所も置かれどう見ても普通の公園ではない。

巨大な岩がいくつも聳え立つ夫婦瀬

 実はこの巨大な岩々、かつて海だった頃からそのままの姿で残されているのだ。冒頭の戦後間もない頃の写真で確認すると、これらの巨大岩が海の中にポツポツと居座っているのが分かる。
 また、現在の写真と比較すると、戦後どれだけの規模で埋め立てられてきたのかがはっきりと分かる。

現在の若狭エリア

 夫婦瀬公園と若狭市営住宅の間に流れる川も、戦後の埋め立てに伴い人工的に造られた水路だ。以前はイノー(礁池)や砂浜が広がり、子供や家族連れの格好の遊び場であった若狭海岸であったが、段階的な埋め立て工事、泊大橋の架橋、若狭バースの開業などもあって、現在では泳ぐにはとても危険な海へと変わってしまった。

 しかし散歩するにはいい海岸通りとなっているので、過去に思いを馳せながら歩いてみて欲しい。

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