湧き水豊かな「繁多川」の地名の由来とは
- 2021/7/8
- 社会
首里のすぐ南に位置する那覇市繁多川、真地は、琉球王朝時代に首里から多くの士族が移り住んで作った屋取り(ヤードゥイ)集落である。そのため現在も町並みには風情があり、昔ながらの家屋や歴史ある史跡も数多く残る。何より、古くから湧き水が多いこともあって昔から豆腐の産地として有名だ。
そこで今回は、繁多川と豆腐に秘められた関係を中心に紹介していこう。
もともとは識名の一部だった
まず、繁多川・真地についてどんなイメージをお持ちだろうか?
おそらく琉球八社の一つである「識名宮」や、世界遺産に登録されている「識名園」がある格式高い「識名」の近く、と思う人が多いのではないだろうか。それもそのはず、繁多川と真地はもともとは識名村の一部だったのだ。
首里から下級士族が移り住み、集落を形成した後にそれぞれが識名から分離したのである。そのため識名という地域がありながらも、識名宮の住所は繁多川であり、識名園の住所は真地となっているのだ。
地名の由来となった「ハンタガー」
首里金城町の石畳を下り切って、向かいの繁多川方面へ上がっていく坂道の起点となる金城橋には、王朝時代に建てられた金城橋改修碑の跡が残り、古風な出で立ちのカッコいいシーサーが欄干に装飾されている。
首里から繁多川へ上るこの坂道は、識名坂と書いて「シチナンダ」、または「シチナンダビラ」と呼ばれ、沖縄の有名な幽霊話「シチナンダの遺念火」の舞台でもある。またこの道は、かつて首里城から那覇港まで敷かれた「真珠道」の一部でもあり、王朝時代に敷かれた石畳が今も残る。