那覇空港・那覇軍港はかつて巨大な「NAHA AIR BASE」だった
- 2021/8/23
- 社会
小禄宇栄原に立ち並ぶ外人住宅
NAHA AIR BASEのメインおよびバックゲートは既に姿を消しているものの、バックゲートからほど近い民間地にも、軍人向けのハウジングが立ち並ぶ一角があった。今でもその通りには、数十件ほどの外人住宅が立ち並んでいる。
NAHA AIR BASEを知らずに歩くと、なぜこんな場所にこれだけの外人住宅が?と思うことだろう。
また、外人住宅街が出来れば、その近隣には社交街も出来上がる。それがかつて新辻町とも呼ばれた、宇栄原の「小禄新町」だ。「特殊飲食店」が立ち並ぶ、いわゆる特飲街が出来る背景には様々な要因があり、一つには米軍人の民間地における犯罪を抑止するためであったとも言われる。
現在でも、その建物や看板から当時の雰囲気を見て取れる通りが僅かに残っており、昭和の香りがプンプンしノスタルジックな魅力に溢れている。ただ、今でこそこんな風に過去の残り香を平和的に伝えられているが、おそらく当時は、その日その日を生きていくため必死に生活していたのだろうということは忘れないようにしたい。
小禄のランドマークにも名残が
さらに331号線沿いには、小禄のランドマークとも呼べる紅白カラーの巨大水タンクがある。
地域に水を供給する赤嶺配水池だ。実はベース時代にも同じ場所に水タンクが存在し、同じ赤白色だったが円盤のような形をしていた。
水タンクが置かれるということは、ある程度高さがある場所で、高さがあるということは、ウチナーンチュにとって神聖な対象となりやすい。この地も例に漏れず戦前は「上の毛」と呼ばれる神聖な場所だった。
土地が返還された現在、タンクの建つ丘一帯が緑地公園となり、古い石獅子や御嶽が数多く祀られている。未だ基地内にあり、立ち入ることが出来ない集落の拝所を移したものもあるのではないだろうか。
このように、現代に僅かに残る当時の面影を我々は今のうちにしっかりと目に焼き付け、忘れ去られてしまいそうな沖縄ヒストリーを後世に語り継いでいけるようにしたい。