タリバーンを孤立化させてはならない-報復を防ぐために日本ができること-

 

 アフガニスタンの首都カブールを8月15日にタリバーンが掌握したことについて、現地を知る識者はどう見るか。沖縄県名護市在住で日本国際ボランティアセンター(JVC)顧問の谷山博史氏に寄稿してもらった。


アフガニスタンは米軍撤退の捨石にされた

 20年のもの長きにわたるアフガニスタンでの戦争が終わりました。5月に米軍が撤退を始めると、タリバーンはあっという間に北部、西部、南部の主要都市を掌握。15日にはカブールを陥落させ、続いて東部のジャララバードを無血開城させました。ガニ大統領は海外に逃亡しました。これが世界を巻き込んで始められたアメリカのアフガニスタン対テロ戦争の結末です。あれから1週間以上が過ぎ、今カブールではアフガニスタン全土と海外からタリバーンの指導者評議会のメンバーが集まり政府樹立と法整備に向けて話し合いを行っています。

 タリバーンの大進撃と政権復帰は世界に衝撃を与えました。しかし私たちは予想するべきだったのです。昨年の2月ドーハでのアメリカとタリバーン創設者の一人アブドル・ガーニ・バラダイが米軍の撤退の合意をしたことや、バラダイを交渉相手にするために捉えられていたバラダルを釈放したことは、すべてアメリカが逃げに入ったことを物語っていました。一方的に戦争を始め、アフガニスタン政府との合意もなく一方的に撤退する。アメリカとの同盟がいかに脆いものであるかが分かります。アフガニスタン政府や国軍は米軍が撤退するための捨石にされたのです。

アメリカによるアフガニスタン戦争はタリバーン掃討戦争だった

 アフガニスタンでの対テロ戦争は講和なき戦争でした。アメリカにとって対テロ戦争はタリバーンの掃討戦争、すなわち根絶やしにする戦争だったのです。スピンガル山脈のトラボラ地域の洞窟に籠るタリバーンを、原爆以外で最も殺傷力のあるバンカーバスターやデージーカッター弾などを使って殲滅するなど、凄惨な掃討作戦が繰り広げられました。太平洋戦争末期、米軍の掃討作戦は沖縄でも行われました。首里にあった日本軍の司令部が陥落し組織的な戦闘が終わった後の民間人を巻き込んだ凄惨な闘いとダブります。2001年の10月7日以降アフガニスタンでの対テロ戦争には沖縄の米軍基地から海兵隊が送り込まれていたことを考えると、沖縄の私たちは米軍の被害者であると同時に、アフガニスタンの人たちにとっては米軍の戦争の協力者にさせられていることにもなります。

 アフガニスタンでの掃討作戦も民間人を巻き添えにして被害を広げました。私が滞在していた2006年の時点で、民間人の犠牲者はタリバーンによる自爆攻撃や簡易爆弾によるものと、米軍やNATO麾下のISAF(国際治安支援部隊)によるものとがほぼ拮抗するまでになっていました。タリバーンに対する怒りと同じ程度、いやそれ以上に米軍に対する怒りと報復感情がアフガン人の間に生まれていました。私がアフガニスタンに駐在していた2005年、現地スタッフの母親が米軍に銃撃されて重症を負いました。米軍の責任を問う私に多国籍軍の大佐は「このようなことは日常茶飯事だ」と言ってのけました。このことを後で聞いた被害者の息子は怒りのあまり「テロでもなんでもやってやる」と米軍を罵りました。この息子と同じような怒りを抱く何千、何万の若者がタリバーンに合流していったのです。

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