阿麻和利と護佐丸の因縁 「勝連城」の歴史を紐解く
- 2021/12/12
- 社会
うるま市勝連の勝連城跡隣に「あまわりパーク歴史文化施設館」がオープンした。この施設は勝連城跡とその一帯を整備する「勝連城跡周辺整備事業」の一環で、今後も広大な公園や飲食もできる商業施設がオープンする予定である。
歴史文化施設館では世界遺産に登録された勝連城跡の歴史や特徴について、また勝連城最後の城主である阿麻和利について詳しく知ることができる。2021年の12月31日までは入館および城跡への入場も無料となっており、この機会に訪れてみてほしいのだが、せっかくなので勝連城や阿麻和利についての知られざるストーリーにも興味を持ってもらいたい。
他のグスクとは違う異色の存在感
勝連城は築城の時期が12~13世紀頃とされ、世界遺産に登録されているグスク群の中では最古だと言われる。築城主は未だ不明だが、英祖王統(1260~1349)の時代には勝連王子という城主が実在していたことから、英祖王統時にはすでに建っていたと考えられる。
また城内の発掘調査により、他では首里城と浦添城からしか出土が確認されていない大和系の瓦が見つかり、朝鮮や東南アジア製の陶磁器、琉球に生息するはずのないオウムの骨、さらにローマ帝国の貨幣なども発見された。
このことは、かつて勝連がいかに外国との交易を盛んに行って繁栄し、巨大な力を持っていたかを示すことに他ならない。古代歌謡集「おもろそうし」には、勝連を大和の鎌倉に例えて讃えた歌もあるほどだ。
英祖王統時、浦添城が絶対的な政権の中心地であったにも関わらず、察度王統の始祖・察度は、周りから身分不相応とあしらわれながらも勝連按司の娘を娶り、その後一躍中山王へと上り詰めた。
また、琉球史に頻繁に登場する「王府に屈しない島・喜界島」は、古代より勝連との関わりが深く交易の中継拠点として、同盟もしくは主従関係にあった可能性が高いとされる。それを裏付けるかのように、喜界島にはかつて勝連家が住んでいた「勝連屋敷跡」が残っている。
もしかするとこのような他のグスクには無い異色の存在感が、後に起こる歴史的事件のきっかけになったのかもしれない。