かつて琉球の人々が通った「長虹堤」を歩いてみる
- 2021/8/10
- 社会
僅かに残る跡を探し歩く
崇元寺通りから安里川に架かる崇元寺橋を渡ると、交差点の向かい側に路面店が並ぶ細い道が現れる。この道がかつての長虹堤の一部で、真っ直ぐ沖映通りに突き当たったあとゆいレールの美栄橋駅までは、長虹堤当時のままの道筋なのだ。
この通りは別名「十貫瀬通り」とも呼ばれ、復帰前まではすごく賑わった社交街だったようだ。現在でも僅かにその頃の雰囲気を残す建物を見かけるが、当時の様子は窺い知れない。また、長虹堤の両端からちょうど真ん中あたりには、美栄橋という石橋があり、「美しく栄える」という名前の通り長虹堤を美しく構成する上で最も重要な橋の一つであった。
現在の美栄橋、および美栄橋駅はこの美栄橋に由来するもので、駅下の広場には美栄橋を改修したことを示す王朝時代の石碑が建っている。広場内には、長虹堤の名残をはっきりと見て取れるスポットがある。
石碑の建つ広場と、隣接する道路との間には明らかに不自然な段差が生じており、古い長虹堤跡と新しく埋め立てられた土地の境目がはっきりと現れているのだ。段差の高い方の道路が、かつては長虹堤だったのである。
さらに、美栄橋駅の後ろには、こんもりとした小山が潜んでいる。この小山はもともと海に浮かぶ小島であった。島の浅瀬を中継する形で、効率よく長虹堤が造られたという分かりやすい名残だ。これが十貫岩、十貫瀬と呼ばれていたことから十貫瀬通りになったという。
その付近にいくつか同じような小山が存在するのも同じ理由である。