中国で迎えた六・四 天安門事件から32年(後編)

 
北京中心部の天安門広場

 自国の軍隊が自国の民衆に銃口を向けた天安門事件から4日で32年を迎えた。中国共産党は市民、軍人、警察合わせ319人が犠牲になったと発表しているが、香港民間団体は3万人を上回るとしている。ともに沖縄県出身で、事件当時、北京に留学中だった山田透さん(仮名・自営業・55歳)、さらに四川大学に留学中だった川田淳史さん(同・物流・54歳)にも加わっていただき、当時の生々しい状況を語ってもらった。
 なお、前編はこちらを参照(https://hubokinawa.jp/archives/7461)。

――大使館が派遣したバスには乗れたわけですよね。

山田さん「はい。ただパニックで震えが止まらない学生もいて『落ち着けよ』と励まし合いました。車窓から見える光景には息を吞みました。ずっと宿舎から出なかったし、テレビでは報道しなかったので、情報が遮断されていたのですが、その時に何が起きていたのか分かったんです。クルマやバスが焼けていて、焦げ臭いにおいが漂うんです。バリケードが張られ、戦車がいて、兵士が立哨している。これで実感が湧いたんです。

 それで車内は余計に緊張が走るんです。大型バスで40人ほどが乗っていて、失禁しそうな人がいる。中国人ガイドは『(空港まで)我慢して!』と言うばかり。彼女と掛け合い『我々に恥をかかせないで』と懇願し、バスを止めさせると10人ほどが降りていきました(笑)。でも女子は我慢していましたけどね。

 翌年の北京アジア大会を控え道路は整備されていたので、1時間ほどで空港に着きました。閑散としていて人もまばらでしたが、なぜか中国人がいるんです。置き引きでした。気を付けるように声を掛けながらJAL 、ANAのカウンターに近づくとANAの側から怒号が聞こえるんです。『どうなってるんだー!』『冗談じゃない!』。行ってみると『お金を払え』と言っているんです」

――えっ、政府のチャーター便じゃないんですか。

山田さん「違うんです。『大使館から、君たちは空港に行け』と言われて来たのに、自己負担とは何事かと。でも気を取り直して本科生の先輩が仲間の10人に『集まれ』と号令を掛け、『ありったけの現金を出してくれ、みんなで帰ろう』と声を掛けたんです。

 かき集めたカネを持って窓口に並ぶわけですが、先輩が『もし10人分足りなかったら、俺とお前は残っていいか』と。他にも先輩がいて普段は威張っているのだが、おびえているので『僕は大丈夫です。先に彼を乗せましょう』と答えました。

 たまたま10人分買えたのですが、買えなかったグループのメンバーは空港で夜を明かしていますよ」

――新型コロナウイルスが最初に発生した中国武漢から引き揚げる際も運賃を請求しました。批判が強まりさすがに撤回しましたが、日本は本当に邦人の面倒見が悪いですね。

山田さん「大使館で思い出したんですが、天安門広場から2㌔のホテルに避難した人たちの中には、ホテルも怖くなって大使館に身を寄せた人たちもいました。ホテルの前を戦車が通り、カーテンの隙間からカメラを向けて撃たれた人もいたそうです。レンズに感知したんでしょうね。安全だと思ってホテルに避難したのに安全ではなかった。周りでそういう経験をしているから、今でも親交のある僕の友人も、這うようにして大使館に駆け込んだんです。

さて避難した大使館では、電話がじゃんじゃん鳴りっぱなしなのに、職員は電話に出ない。職員は日本語しか喋れないから、なんの対応もできないんです。やむなく留学生たちが受話器を取って対応したそうです」

――大使館の職員なのに中国語ができないんですか。

山田さん「僕も研修生を通じて職員と多少の付き合いがありましたが、一切できなかったです。だけど、大使館ナンバーの車に乗ってクラクションを鳴らすので、『かっこ悪いから鳴らすなよ』と言ったのを覚えています。そのレベルの職員が大使館員風を吹かせていました」

――大企業の駐在員らはどうしていたんですか。

山田さん「はい。事件が起きた朝、すでに駐在員、家族すべて空港にいたそうです。実は4日の朝、飲み友達で商社勤務の方から『おい、山田。いま空港だが、北京から離れた方がいいぞ』と電話をもらっていました」

――川田さんは四川大学に留学していたんですよね。

川田さん「はい。ただ事件前にアメリカ人のカメラマンと雲南省の西双版納タイ族自治州を旅していて、未開放地区に自転車で行き、泡盛のルーツと言われているタイ米で醸した地酒に感動し、酔いしれていました。

当時、四川大全体で約30人の留学生がいて、そのうち15~20人が日本人でした。成都に戻ってしばらくは平穏でしたが、戒厳令が発令されてから雲行きが怪しくなってきました。大学の外弁(外事弁公室)から『外に出るな。授業にも出なくてよい』と通達がありました。中国人学生は“民主化”のプラカードを掲げ、デモをしていました。成都という地方都市にも拡散していたんです」

証言する川田淳史さん(仮名)

――4日当日はどうでしたか。

川田さん「たまたま知り合った旅行者らと夕方、本家本元の『陳麻婆豆腐店』で食事をする約束をし、人民南路を歩いていると、とにかく目が痛いんです。確かに成都や重慶は空気が悪いですが、この痛みはかつて味わったことがない。後で聞くと、午前中に催涙ガスが撒かれたという。

 いつもは清潔な人民南路ですが、よく見ると、がれきやブロック片が散らばっている。すると向こうの方からグオーンと怒濤が押し寄せ、群衆がこちらに向かってくるので、自転車で逆走して遠ざかりました。暴徒化した群衆は、成都で最も有名な錦江賓館に向けて投石し、ガラスが粉々になっていました」

――2005年と2012年にあった反日デモに近いですね。ところで、日本政府の対応はどうでしたか。

川田さん「事件から1週間以上たっていました。皆そうですが留学生は大学の留学生寮に住んでいて、電話を取り次ぐ年配の男性がいて、その人は電話を取ると(意味は分からなくても)何語かは分かるんです。その男性が『日本語だ』と言うので、出てみると北京の日本大使館からで『危なくなったら自分で逃げろ』と言っていました(笑)。

 アメリカの総領事館が毎週土曜日の夜は開放していたので、そこで映画を見て意味はよく分からなかったけど雰囲気を味わったり、他の来訪者とゆんたくしたりして楽しんでいました。馴染みの留学生の消息を聞くと『もうとっくに帰国したよ』と言うんです。アメリカ総領事館は日ごろから情報収集をしていて、さすがに迅速でしたね。当時は国際衛星放送にアクセスできるわけがなく、実家から掛かってくる電話で状況を知るしか術がなかったです」

――新型コロナもそうですが、政府の対応が違いますね。今日はどうもありがとうございました。

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友寄 貞丸

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伊江村出身。1990年から主に中国、台湾の取材執筆活動を続ける。2014年11月Uターン。著書に『雲南哀楽紀行』(愛育社)など。国境を越えても一線を越えない旅と取材を信条とする。

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