埋立て前の海岸線が語る安謝・天久の琉球秘話
- 2021/6/6
- 社会
安謝港と安謝港に連なる曙町、港町はほとんどが戦後に埋立てられた土地だ。安謝港前の泊大橋に繋がる波之上臨港道路も、もともとは海洋であった。その臨港道路から一本内陸側の旧道はかつて海沿いに伸びる細道で、現在はこの旧道を境界として、内陸側に安謝・天久、海側に曙町がある。今でも旧道を歩いてみると、海岸であった名残や王朝時代からの由緒あるスポットをいくつも見て回ることができる。
琉球王朝時代の処刑場
安謝交差点を起点に旧道を泊向けにしばらく歩くと、小高い場所に恵比寿神社が見えてくる。まるで巨大な岩の上に鎮座するかのような神社だ。その不思議な光景からも、かつてはすぐそこまでが海だったということが理解できる。
この神社には少し怖い逸話が残されている。岩上にある社殿に辿り着くため坂道を上っていくのだが、鳥居の側に突然パッカリと大きく口を開けたガマ(洞窟)が現れる。実はこのガマ、琉球王朝時代の処刑場なのだ。
16世紀に活躍し、琉球の文学者として名高く当時としては珍しい恋愛を題材にした物語なども書いた平敷屋朝敏。彼が友寄安乗らと共に蔡温を批判したために処刑された場所である。尚真王時代には、占い師である木田大時が王からの信頼を一身に受けたため、高官達に能力を疎まれ処刑されたのもこの場所だと言われている。尚真王は悔恨の念から、異例中の異例として王族ではない木田を玉御殿に葬ったとも語られる。