新世代、世界のウチナーンチュ 3)シンガポールで人材紹介業・大嶺勲さん
- 2021/6/7
- 社会
行政や民間が強化に取り組む「世界のウチナーネットワーク」。海外に飛び立った多くのウチナーンチュとどのように協力し発展していくべきか、沖縄県のベトナム、シンガポール委託駐在員を歴任した遠山光一郎さんが世界各地のウチナーンチュを紹介していきます。
シンガポールの人材派遣業の会社で、アジア全体の人材市場を舞台に活躍する、浦添市出身の大嶺勲さん(35)。シンガポールに拠点を置いたきっかけや仕事の魅力、さらには、自身が立ち上げた、世界各国が対象のオンラインのウチナーグチ講座についても話してもらった。
「働く」に向き合いキャリア支援の道へ
大嶺さんは、家族が米国ロサンゼルスに住む親類とビジネスをしたことがきっかけで幼少期を現地で過ごした後、沖縄に戻り沖縄クリスチャンスクールインターナショナルで学び、立命館アジア太平洋大学に入学した。卒業後、沖縄に戻り2年ほど働いたが、自分の得意分野を活かすことができない就労環境で働くことが辛く苦しいものだったため、働くことに対してハッピーでない気持ちが大きくなる。
沖縄で働く他の若者も同じような経験をしている人が多いと感じ、人材と企業のマッチングサービス業に興味を持った。このことがのちのシンガポール生活を始めるきっかけになる。
東京のリクルート会社で働いて約3年が経ったある日、同社のシンガポールオフィスで働くチャンスが舞い込んできた。多様性がある国で、自身の英語力を活かしたいという思いがあり「もともと国際的に働きたいと思っていました」と語る大嶺さんは、挑戦することを決める。
移住当初は日本語話者と企業の人材マッチング
そして2015年、同じ沖縄出身の奥様、真理子さんとともに大嶺さんはシンガポールで新生活を開始した。
東京では外資企業を中心に「英語ができる日本人」「日本語ができる外国人」といったバイリンガル人材の紹介をしていた大嶺さんは、シンガポールに転勤すると、日本語話者と多国籍企業の採用マッチングをする事業に携わった。
シンガポールには主にアジア各地から優秀な人材が多く集まっている。大嶺さんは金融関係の分野を専門に日本語話者人材の紹介を行っているが、財務経理分野、公認会計士などのポジションではあまり多くの採用枠がないと感じていた。
大嶺さんは「優秀な人材は多くいるのですが、企業と求職者とのマッチングそのものが大切なので、企業が求めているポジション、職務内容、給与などの条件がなかなかかみ合わず難しいこともありました」と話す。
現地企業に転職、舞台はアジア全域へ
人々の採用サポートに携わる一方で、大嶺さん自身も転職し、現在も働くシンガポール企業である人材派遣会社へキャリアアップを果たした。同社の拠点はシンガポールのみだが、「国境を越えたアジア全体のマーケットで企業や人材のマッチングをすることが、日本では得られない経験となっていてより理想に近い業務内容です。また、私生活では子供が産まれて家族ができたので、より充実したワークバランスが取れていると感じています」と今を語る。
ウチナーグチ講座でアイデンティティを次世代に
本業の他にも2020年5月から、あるプロジェクトを始めた。世界中に住むウチナーンチュに向けたオンラインのウチナーグチ講座だ。
講師は英語を話せる沖縄在住の親川さん。Zoomを使用し、まずは5−7歳までの子どもたち向け講座で、ウチナーグチの普及を目指している。
第1回目はブラジルから2人、アメリカから1人が参加した。将来的には幅広い年齢を対象に、いろいろな国へ講座を広げていきたいという夢を持っている。
大嶺さんがこのような取り組みを始めたのは、自身が沖縄と海外の両方で暮らした経験から見えてくるものとして、沖縄のアイデンティティーが世代を追うごとに薄れつつあるとの危機感を募らせていたからだ。
自身の経験上「沖縄から離れた在海外のウチナーンチュほど、ウチナーグチを学びたいという人が多いです」と語る。そのようなニーズになんとか応えたいとの一心だ。
ウチナーグチ継承の大切さは、特に海外在住の若いウチナーンチュと交流をする時に感じている。何よりも、シンガポールで育つ長男・琉士(りゅうし)くんのためにも、言語継承の仕組みを作り上げたいとの気持ちを強める。「海外で育っていくからこそ、言語を通して沖縄のアイデンティティーを感じて欲しいです。そうすることによって海外から沖縄に戻った時に違和感なく適応できる利点もあります」
経験生かし、いずれは沖縄に
自身の今後についても語ってもらった。
「しばらくはシンガポールで経験を積んでいきたいですが、いずれは沖縄に戻って若者のサポートをしたいです。沖縄は失業率が高く、就業機会や自由な転職環境が乏しいと感じています。就業環境の改善やキャリアアップの促進などの支援ができるように、東京やシンガポールでの経験を活かしたいです」
大嶺さんには、沖縄に帰って叶えたいもう一つの夢がある。大嶺さんが1歳の時にお父様が交通事故で他界し、これまで女手一つで育ててくれたお母様に家を建ててあげることだ。「親戚を頼ってアメリカに行くと決断したのも、兄と自分の将来を考えてくれたから。そんな母への恩返しも込めて、プレゼントしたいと思っています」
沖縄の若者へメッセージ
最後に、大嶺さんに沖縄の若者へメッセージを寄せてもらった。
「沖縄に住んでいると逆にウチナーンチュとしてのアイデンティティーをあまり感じないかもしれません。しかし、海外に出るとそれをより感じることができると思います。沖縄は狭いので、旅行でも留学でも、チャンスがあれば是非世界の色々なところへ出てみてほしいです。そうすることで、より沖縄愛も強くなり、視野も広がると思います。逆に、沖縄の中で活躍するにしても、ぜひ情熱が持てることを探してほしいです」