沖縄伝統の木造船「サバニ」 最年少職人が文化を繋ぎ続ける理由
- 2021/8/4
- 社会
琉球王朝時代の丸木舟にルーツを持ち、現代まで脈々と受け継がれている、木造帆掛け船のサバニ。一時期の需要の低下で職人の高齢化が進むなか、自らのルーツである大宜味村に移り住み、金属を一切使わない工法で造船をしているのがヘントナサバニの邊土名徹平さんだ。まだ30代で県内最年少の職人が「木造サバニを作ることは文化を繋ぐことになる」と語るその想いとは。
サバニに一目惚れ「美しい船だ」
邊土名さんは、石垣島の旅行会社に勤めている時に、海にたたずむサバニの姿に一目惚れ。これが全てのきっかけだった。
「サバニを造ってツアーをやっている人がいる、という話を聞いて出向きました。サバニが海に浮かぶ姿を見て『一生をかけてサバニに携わりたい』と直感的に感じました。そして、隣にはそれを造った人が立っている。自分の立場を全て忘れて『造ってみたいです』との言葉が口をついて出ていました。すると、『造れると思うか?』と訊かれて『はい』と答えたのを今でも覚えています。それがのちの師匠との出会いでした」
その約1年後に当時勤めていた会社を退職した邊土名さん。33歳で吉田サバニ造船の吉田友厚代表に師事しサバニ造りを学び、その後の拠点に先祖代々の父方の地元である大宜味村を選ぶ。サバニの歴史と自身のルーツをさかのぼり、交差する風景がかつての塩屋湾にあった。
大宜味村の塩屋湾を周回する道のりは約10キロでありながら『那覇から名護よりも遠く感じる』と、かつて言われていたほど険しい山道だった。そのため、海上を行く木造の渡し舟は人々の暮らしに欠かせない存在で、漁船や運搬船としても利用されていた。
「(現在の国道58号の一部でもある)塩屋大橋ができる前は、塩屋湾を渡るための舟がありましたが、夕方には運行が終わってしまっていたそうです。それ以降に海を渡りたい人は、岸から大声で叫ぶと、向こう岸にいる誰かしらが自前のサバニを出してくれたそうなんですね。いかにサバニが人々の生活に密着していたか、助け合いの心があったかが分かる素敵なエピソードだと思います」
どうやって作る?木造サバニの工法
素材は宮崎県の飫肥杉(おびすぎ)。木材同士を接合する際、金属の釘などを使わずに、木製のチギリ(フンドー)や竹製の釘を用いるという特徴がある。