女優・柴田千紘の沖縄めぐり「流しになったやちむんさん」編
- 2021/7/15
- 食・観光
「ヒッピーと結婚しよう」
「一杯いかがですか?」と勧めるバーテンのように「一曲いかがですか?」と持ち歌のレパートリーのメニュー表のようなリストを見せてくれるやちむんさん。
これは見せてもらったものの中でもごく一部ですが、全てオリジナルの曲。曲名から想像して、どんな曲かはあえて細かく聞かずに当てにいく感じで選ぶのも楽しいと思います。
明るく緩く個性的な服装に白いお髭をたくわえた見た目と、私の移動民族のような生活から「ヒッピーと結婚しよう」という曲名が気になって、その時はその曲をお願いしました。想像通り陽気でキャッチーな曲。1度聞いただけなのに私は今でもそのサビが歌えます。
この本当にヒッピーみたいなおじさん(失礼)は何十年もこのあたりを流れて演奏してるんだろうなぁ、と勝手に思っていたら、実はやちむんさんが流しで歌い出したのはコロナ禍に突入してからだったのです。
映画好きでもあるやちむんさん
実は映画好きでもあるやちむんさんがもう9年近く前、沖縄の桜坂劇場で私の出演映画「恋の渦」を上映してたときに観ていたらしく、それもすごく気に入ってくれて後輩を上映スタート後なのに映画館に押し込むくらい周りにモーレツにオススメして勧めてくれていたそうで
そのことを私は最近友達越しに知りました。
最初に出会ったゴキゲンな夜に、私はやちむんさんに旅の話をしていて、その時期絶賛手売り中だった柴田千紘の旅本【HIT AND RUN】を、たしかお渡ししていたのです。
帰宅後にそこから私の名前を調べてくれたやちむんさんが、恋の渦に出演してる子だった!と繋がって、後日そのとき一緒にいた友達とまたばったりのれん街で会ったやちむんさんが伝えてくれたという流れです。
やちむんさんは毎日のようにいろんなひとに出会って同じように音楽をやってる人からCDを渡されたり名刺やなにかを貰うことも多いみたいですが、その全ての名前をその日のうちに調べたり渡されたCDは必ず聞くそうです。その習慣のおかげで再会して今回いろいろお話を聞くことができました。
コロナ禍でそれまでの音楽活動を自粛
お話を聞き出していきなり「は?」となったんですが、やちむんさんは沖縄出身ではありませんでした。宮崎出身で大学で沖縄に出てきたそうです。今から40年ほど前の話ですね。
お父さんが高千穂の人だと聞いてなんだか霧の中の仙人が浮かんで神々しい…白いお髭にイメージが引っ張られすぎです。その頃はカメラマンになりたかったらしく、実際に初めはタウン誌で働いたりコマーシャルのスタジオの助手を一年ちょっとしていたそうです。
音楽活動を本格的に始めるのはその後のことです。
そこから音楽活動丁度30周年のやちむんさんは、各地イベント、毎年呼ばれるお店などあちこちに出向いて旅するようにツアーミュージシャンとして演奏していました。
それがコロナをきっかけになくなったのです。
全てのお店に断られるとか急にどれも中止になったということではないようですが、やちむんさんはコロナ禍での人々を見て、自主的に行くのをやめました。
「毎年恒例の場所なんて、『今年もどうですか』と連絡すれば多分『来てください』と言ってくれちゃう。でもそこから万が一クラスターが発生したり、なにかの噂がたったら呼んでくれた人にも迷惑をかけてしまう」
迷惑をかけれないからと自主的に全て無しにしたのでした。きっとこうやって自ら遠慮して今までのようにいかなくなった人も沢山いるんでしょうね。それでも、私みたいに家もなく放浪している女と違ってちゃんと毎月家賃を払っていかないといけないやちむんさん。
私のかなり勝手なイメージで流しのミュージシャンをしてる人って、しかも沖縄なら、家賃はかからない住処があるんじゃないかとか、それこそどこかのバンで移動生活してるんじゃないかとか、実際に私の友達のおじいさんは山や洞窟に住処を手作りして暮らしていたり、ほぼ自給自足のように生活してる人もいるので、なんとなくそこのくくりにしていたんです。