【戦後76年 慰霊の日】戦跡を巡る② 「野嵩」 収容所設置で多くの人が行き交った過密ポイント
- 2021/6/22
- 社会
ハウスナンバー32
野嵩エリアを散策してみると、民家の敷地に古い井戸やコンクリート製の水タンクが残っており、昔の面影を数多く見ることができる。そんな街並みの一角に、「32」と数字の書かれた不思議なヒンプン(沖縄家屋独特の目隠し壁、魔除けの壁)が建つ家がある。
この数字は野嵩の家屋が難民収容施設として使われていた頃、米軍が住居管理するために家の壁に書いた数字、いわゆる「ハウスナンバー」なのだ。このナンバーを基に収容人数の把握、食糧配給などがなされていた。今ではこの一箇所しか残っていないという。
当時の家屋そのものが残っているわけではなく、壁の一部とヒンプンだけを残して建て替えているのだが、それだけでも地域の貴重な戦争遺跡だ。ハウスナンバーが書かれた民家の近くには、不思議な雰囲気を漂わせる古い屋敷が建っている。沖縄の伝統的な佇まいで、赤瓦にアマハジ、一番座、二番座などのある作りだ。
ただ、西洋風な街灯が柱に掛けられているのが少し異質だ。実はこの屋敷、築90年以上になるが、野嵩一帯が収容所であった頃にMPいわゆる「ミリタリーポリス」の事務所として利用されていた建物だという。
軍服の洗濯場として使われたクシヌカー
宜野湾には湧き水が多く、野嵩にもいくつかある。中でも「クシヌカー」は水量が豊富で琉球時代から人々の生活に欠かすことのできない大事な水源だった。しかし収容所時代にはあまりの人の多さに、その豊かな水源さえも枯れてしまうのではないかと心配されるほどだったという。
さらに米軍の日常的な洗濯場としても使われ、地元の女性たちが多い時には一日500〜600着もの米軍の衣類をこのカーで洗濯していた。彼女たちは軍から重宝され、北部への収容所移動対象から外されていたという。
現在も野嵩クシヌカーでは水が湧き出ており、カーに降り立ってみると終戦当時の慌ただしさが聞こえてくる気がする。
*野嵩に残る住宅に関する史跡は、現在一般の方がお住まいになっているので、見学する上では住人の方に迷惑のかからないよう、マナーをわきまえ見学するようにしてください。