【戦後76年 慰霊の日】戦跡を巡る①「読谷」 9割が米軍用地だった場所に残る爪痕
- 2021/6/21
- 社会
命運を大きく分けた二つのガマ
土地の大部分を米軍に摂取されていたこともあって、読谷には戦後手付かずのままのガマや戦時中の爪痕が数多く残る。
中でも自分自身の目で見て感じて欲しい戦跡が、人々が身を潜め隠れていた「チビチリガマ」と「シムクガマ」だ。「ガマ」というのは沖縄の言葉で洞窟を意味し、戦時中は自然壕として人々の重要な避難場所となった。
ひとたびこれらのガマへ足を踏み入れてみると、当時へとタイムスリップしたかのような感覚を受け、張り詰めた空気の中で身を以て平和のありがたさを感じる。チビチリガマとシムクガマとの間は1kmにも満たないのだが、それぞれのガマによって人々の命運が全く異なった。
チビチリガマでは、差し迫る米軍に対する恐怖から、親が子供に手をかけ自らも命を絶つという惨すぎる集団自決が起き、83人もの命が失われた。現在ガマ内には、亡くなった戦没者を悼みチビチリガマ世代を結ぶ平和の像が建立されている。
逆にシムクガマでは、米軍のガマへの侵入によって混乱を極めた矢先、ハワイ帰りであった比嘉平治氏、比嘉平三氏がアメリカ軍に対しガマ内には日本兵はいないことを訴え、隠れている人々に対しても「アメリカー(米兵)は住民を殺さない」となだめ、呼びかけることで投降へと導き、1000名もの命が助かった。
シムクガマ内には二人を讃えた救命洞窟之碑が建立されている。
当時のままの姿で残る2つのガマを訪れることが、沖縄戦と平和について考えるきっかけになれば幸いだ。また、実際のガマに行ってみたいが少し抵抗があるという方は、ユンタンザミュージアムの再現ジオラマから学んでみてはいかがだろう。